東奔西走 2011 その1

2011年の年明けは仕事が忙しく遠出を控えていたからか、近場の小さな旅が多かった。3.11があったせいもあるのだろう。そして、半年過ぎてすでに28ヵ所がアップされずにたまっている。このまま放置していてはまずい、少しずつアップしていこう。

2011年3月11日、想像を絶する大災害が発生した。まるで太平洋戦争の前後のようにわが国の価値感が変わってしまった出来事。東日本大震災。
右の写真は、岩手県宮古市の港町鍬ヶ崎の町並みだが、すでにこの姿は存在しない。2011年東奔西走その1は、年明けから、この東日本大震災直後までの小さな旅の記録である。

3.11の津波で失われた町並み
墨田(東京都墨田区)
2011年1月

2011年集落町歩き初めは、墨田区墨田。ここは、つい最近歩いているが、テレ東「アド街」で紹介されたの見たら「おやおや町並みあるじゃん」。なのでリベンジ探訪である。
鐘ヶ淵という場所は川に挟まれた旧工場街。鐘ヶ淵=カネボウの工場門前町だ。その門前町エリアには戦災にあっていない古い町並みが結構残っていた。銅板看板や出桁町家。あはは、見事な見落としだぁ。
 
 

墨田鐘ヶ淵の町並み 銅板看板建築
小川新田(東京都小平市)
2011年1月

正月のお墓参りの帰りに小平市、小川新田をプチ探訪。武蔵野台地の農村は江戸時代に開発された新田が多く、いまだにその地割が残っている。小川新田は、有名な玉川上水と野火止用水に挟まれた贅沢な?新田で、「都内にこんな広い農村が残っているんだ」というような場所。片っ端から戸建て宅地化が進んでいるが、青梅街道沿いの屋敷林と用水沿いの山林、そして新田の屋敷畑地をほぼ完璧に残している家もあった。すげぇ。
 

小川新田の面影を残す屋敷
阿佐ヶ谷(東京都杉並区)
2011年2月

忙しくてどこもいけないよぅ(泣)。しゃーなぃ都内のぶらり旅が続く。都心部の「戦災のない東京」はほぼ歩きつくしているので、23区内の郊外にフィールドを移そう。まずは、中央線からということで、阿佐ヶ谷だ。中央線は武蔵野台地の上に「エイや!」と定規で線を引っ張って、旧街道と交わる場所に駅を配置した。そして、大正昭和初期に宅地化が進み駅前商店街が形成された。そんな町並みが多い。
阿佐ヶ谷では青梅街道(旧集落)と駅をつなぐパールセンター通りを徘徊。戦災にあってないだろうに何にもないのは、ちとおかしい。
 

阿佐ヶ谷パールセンター
高円寺(東京都杉並区)
2011年2月

隣の高円寺へ電車乗って移動。高円寺はやたら最近話題が多い。駅を降りると(初めて)、なんかにぎやか。イメージと違って地方の中心都市みたいな雰囲気だ。駅前の看板地図を眺めると南北のわずかにくねっている通りがある。うん、これが古いな。そこから攻めると商店街だった。ルック商店街。細工が見事な看板建築を発見。通りが南北で建物が低いからであろう、燦々と日が降り注ぎ明るい。なんか、沖縄那覇市内の商店街を歩いているみたいだ。ここでもやはり青梅街道で終わった。

駅に戻って今度は北側の街を歩く。ここは一言でいうと「商店街天国」。すごくにぎわっている。その中に、今日この街を訪ねた本当の目的のお店がある。本革手縫い鞄の工房だ。鞄を買いに来たのではない、最近購入したオリンパスペンの特注ケースを注文していて、その製作の様子を拝見しにきたのであった。「私の注文したケースが最初ですか?」と本革手縫いマイスターに聞いてみると、「3つ目です」「一つはオリンパスさんからCM用に注文されたもの、2つ目はCMに出ている宮崎あおいさんから注文されたものです」。なんと、あおいちゃんと僕はお揃いのカメラケースではないか!!
 

高円寺ルック商店街

高円寺にある本革手縫い工房「TRUNK」
野方(東京都中野区)
2011年2月

23区西部の町並み面白い!大正昭和初期に開発された住宅地とレトロな商店街が魅力である。前回あるいた阿佐ヶ谷や高円寺の南北の旧街道を北に行った町を今日は歩く。
鷺宮は阿佐ヶ谷の中杉通りの北にあたる。が、あまり面白いものなし。東へ移動し、野方へ。すると、明らかに戦前開発されたとわかる住宅地が登場。大谷石の塀に近代和風+洋間のサラリーマン住宅だ。
そして、楽しかったのが野方駅周辺の商店街。古い住宅地では商店街がイキイキしているんですねぇ。戦後の闇市から発展したような一角が魅力的だった。
 

野方 戦後の闇市から発展したような一角
平林(大阪府大阪市)
2011年3月

東京西部の大正昭和初期の住宅地+商店街を歩いた感覚を保ちつつ、大阪の郊外を歩きに行った。
まずは、以前より行きたいと思っていた「大阪の木場」とでも言おうか平林の貯木場街である。幅の広い運河に囲まれた島状の街がつづく。街といっても製材工場群だが風情がある。今では原木から製材までの工程を海外で済ませてから輸入されるものが多いそうで、ここ平林の貯木場にも原木はほとんど浮いていなかった。
 

大阪平林の貯木場街
玉出(大阪府大阪市)
2011年3月

「戦災のない大阪」も大阪環状線内はおろかそのすぐ外側もほぼ歩いているので、さらに郊外へフィールドを移す。
玉出は「激安スーパーチェーン玉出」でその名を知っている人は多いであろう。町並みあるという情報はなかったが、非戦災都市であること、激安スーパーの本店があることで何かあるのではないかとヤマ勘。おお、古いアーケードの中に戦前の商店がたくさんあるぞ。良く昨今の商業施設で作られている昭和の横丁のような空間がまんま残っていた!!
 

玉出の超完璧レトロ商店街
帝塚山(大阪府大阪市)
2011年3月

玉出はどちらかというと下町っぽい。そこから東へ丘を上ると、帝塚山という高級住宅地になる。東京でいえば田園調布や成城みたいな街。でっかいお屋敷がずらっと続く。相続による敷地分割が、東京のそれより進んでいないように思うがどうだろう。阪神の六甲山麓の住宅地も同様の印象を受けた。
 

帝塚山の高級住宅街
田辺(大阪府大阪市)
2011年3月

さらに東へ進む。田辺地区は帝塚山とは違い、どちらかというと大阪東部にみられるような大正昭和初期に開発された住宅地で、戦災にあっていないので大阪らしいテラスハウス=長屋のオンパレードエリアである。軒段々、ど派手うだつ、極小前庭付テラスハウス、などなどいろんなタイプの戦前長屋を見ることができた。法楽寺の南側に古いタイプの町家も残っていた。
 
敦賀(福井県敦賀市)
2011年3月

福井での出張仕事の帰り、まだ空が明るいので敦賀で下りた。何度もやり過ごした町並みのリベンジ探訪をこの機会に片付けてしまおう。敦賀市内は戦災にあっているので必要以上に広い復興道路が通っているが、中心市街の端っこに戦禍を免れた町並みが残っていた。
この町では地震や原発はどう受け止められているのであろうか。若狭湾は日本一の原発街道だ。
 
 
築地場内市場(東京都中央区)
2011年3月

東京に戻る。中央区の築地場外市場で大好きな天ぷらうどんを食した後、ふらふらと場内市場へ入ってみた。「あれ、場内市場って入れるんだ」
最近外国人観光客が増え、売り物に触るというので自由な入場を制限したと聞いていたが、それはセリの時だけなのであろう、日中は自由に入れ、人気の飲食店に長蛇の列もできている。でも、勝手知らず、一番奥の近代建築群に行きつけなかった。今度、もう一回トライしよ。
 
 
この数年、カメラはリコーGRがメイン機になっていた。きれいに撮れるし、レンズ明るいし、不満はない。でも、広角オンリーなのにもいい加減に限界を感じていた。そこで、新しく購入したのがオリンパスペンライトE−PL2.右の画像の宮崎あおいちゃんが持っているカメラだ。広角と望遠のダブルズームキットを購入したが、超広角がほしい、旅に持って行きやすい広角⇒望遠ズームがほしい、などとレンズをどんどん買い替え、電子ビューファインダーだの、本革ケースだのも購入、完全に嵌ってしまっている。でも、面白いなぁPEN。カメラ小僧、一からやり直していま〜す!!

なお、千葉県銚子市外川長崎の写真を更新しています。