築地
場内市場
関東大震災直後に建設された東京の台所

東京都
中央区
築地5





交通

地下鉄日比谷線築地駅下車




築地場内





2011.03.26
2015.11.19
明治時代、魚市場は千住、新場、日本橋、芝金杉の4ヵ所に統合、整備された。しかし、都市人口の増加や衛生の問題から中央卸売市場を望む声が高まった。大正12年、「中央卸売市場法」が制定され、いよいよ計画を進めていたところ、関東大震災が東京を直撃、日本橋の魚河岸は焼失してしまった。震災後、東京市は築地の海軍省用地の一部を借り、仮設の市設魚市場を作った。これが築地市場の始まりで、昭和10年2月、築地に広さ約23万平方メートルの東京都中央卸売市場として開設した。
東京の戦災地図を見ると築地市場には焼失の記載はあるが、すべてではなかったようだ。それが証拠に、場内には戦前の建物がかなり残っている。場内の見学はかつてはフリーパスであったが、外国人観光客の増加もあって、規制がかけられた。それでも場内の飲食店には長蛇の列ができていて、市場関係者でなくても利用できる。南東の一角に戦前の建築が多く残っているといわれるが、まだ取材を果たしていない。

場内にある水神。防潮対策が施されている。(左)
立体駐車場の車路(上)

事務所施設。一階が店舗で、2,3階が事務所になっている。(上)

飲食店には観光客の長蛇の列。値段は結構高いそうだ。(左)
ちなみに牛丼の吉野家はこの中が発祥の地だという。
昭和9年建築の建物。
昔は鉄道の引き込み線も入っていた。

円形は鉄道引き込み線との関係で生まれた形状  

このころはモダニズムの始まった時代。 
参考資料 リンク
中央区

参考文献