東奔西走 2007 春夏

2007年8月お盆休みである。例年であれば渋滞を避けて一般道を駆使し、北方向への家族旅行をしているはずであるが、今年は家の中にずっといる。暑くて外に出る気がしないのも理由だが、実はそれだけではない。
集落町並み探訪は、1985年の長野県下栗集落から始まった。以来、コツコツと歩いてきたが、このサイトを立ち上げた2003年からはとにかく精力的に全国を歩き回った。近年では月一回遠出をするペースであった。今年は年初にしばらく落ち着いて探訪シリーズを制作していこうなどと抱負を語ったが、それがとある深刻な事情で本当に旅に出られなくなってしまった。今年だけにはとどまらず数年は遠出を控えなければならないだろう。
我が人生にとって大きなターニングポイントが訪れたというわけか。試練の時なのかもしれない。このサイトを止めてしまおうかとも思ったが、いろんな方々から継続を望む声が寄せられた。私は自問自答し、サイトを継続する結論に至った。私の好きな言葉に「継続は力なり」というのがある。これからどんなことがあろうとも、このサイトは止めない。今後は少々退屈な「集落町並みWalker」になると思うが、どうかどうか末永く見守っていただきたい。
 

海老江(大阪府大阪市)
2007年3月

昨夜、大阪梅田茶屋町のビジネスホテルに入った。今年は仕事が超超ちょ〜っ忙しい。疲れているので朝寝坊したいが集落魂がそうはさせてくれない。それでも梅田駅までは遠く歩く気はしないので、そそくさとタクシーを拾った。早朝6時のことである。
戦災の無い大阪シリーズも結構歩いているが、まだまだ残っている。海老江は淀川近くの下町で、非戦災地区の多い福島区の中にある。福島区ではいままで野田福島を歩いているが、ここ海老江でも「大阪名物ド派手ウダツの町家」を期待したい。

海老江3丁目から歩き始める。町の中に公園があって桜が満開である。戦後のGHQ撮影の空中写真を見ながら町を巡る。古い民家はしばらく姿を現してくれなかったが、淀川近くに塀で囲まれた大きな屋敷が見られた。
国道2号線をくぐって8丁目に移動する。するとズラッと並ぶ長屋が出てきた。海老江の特徴はド派手ウダツではなく長屋のようだ。7丁目では、Kさんがスケッチで紹介していた銅板貼の長屋が現れた。「石畳保存自治会」なる看板があり保存されているようだ。石畳が敷き詰められた長屋の路地空間はとても懐かしい気持ちにさせてくれる。周辺がではマンション開発が進んでいるが、いつまでも残っていてほしい空間である。
小杉(神奈川県川崎市)
2007年4月

日曜日、娘の公開模試に付き添う。テストが終わるまで約2時間待機しないといけない。近くに町並みはないかとということで、多摩川を渡って武蔵小杉を歩いた。中原街道は東京近郊で旧街道の面影が残っている好きな街道である。武蔵小杉は何十回も通過しており、古い町家が残っていることを知っていた。とはいえ道路拡幅が進んでいて古い民家は数軒だけ。何とか雰囲気だけでもカメラに納める事が出来ただろうか。遠くに工場跡地を再開発して建設している高層マンションがそそり立っていた。
高松扇町(香川県高松市)
2007年4月

高松市内の兵庫町で設計したビルが完成した。竣工検査を終えて時間があったので後輩と市内見物をすることになった。とはいえ、夕方で栗林公園はもうじき閉まるし玉藻城も入れない。それじゃというわけで古い町並みがあるかも知れない場所を訪れてみることにした。兵庫町のアーケードを西へ抜けてしばらく行くと道幅が狭まった。戦災を受けた都市で道路幅が狭まるということは、戦災復興都市計画がなされなかったエリアである。つまり、戦災を受けていない町ということ。予想通り、本瓦をのせた漆喰塗籠造の町家が現れた。まったく興味を示さなかった後輩君も少しは楽しんでいただけたであろうか。
鷹峯(京都府京都市)
2007年5月

常連ののぞみ1号は9時前に京都駅に到着。地下鉄烏丸線で北大路まで行き、バスに乗り換えて鷹峯へ行く。京都はバスが発達しているが京都駅からバスで移動しては時間がかかってしまう。地下鉄を上手に組み合わせることで移動時間を短縮することが出来る。
鷹峯は初期の旧周山街道の町並みが見られると聞き訪れた。町を歩き終わったがまだ時間があるので、光悦寺に拝観料を払って入ってみた。すると庭から眺めた鷹峯三山の景色の何と素晴らしいことか。とても都市の中にいるとは思われない。京都のお寺めぐりも少しはいいかも?最近の京都通いで始めてお寺に入って感動している自分だった。
西木屋町通(京都府京都市)
2007年5月

河原町松原の常宿のビジネスホテルを出て四条烏丸で建設中のビル現場へ向かう。毎度いろんなルートを辿っているが、今日は高瀬川に沿って四条まで北上してみよう。高瀬川の横の木屋町通は何度も歩いているので、川の西側の細い通りを歩いてみた。ここは西木屋町通というそうで、高瀬川に面して建っている建物の入口が並んでいる。これがなかなか面白い通りで、先斗町や木屋町通のような表の表情ではなく、歓楽街の裏通りという感じであった。
直島(香川県直島町)
2007年5月

GW明けの大安吉日。高松市内のビルが無事竣工式を迎えた。会社の上司と式典に参加し、昼前に終わった。これから近在の建築でも見学して帰ろうということになり、直島へ渡ることになった。直島には安藤忠雄の設計した美術館があって世界的にも注目を浴びている。設計事務所の一員としてはこういう機会に見学しておかなければならない。日々精進すべしである。

高松港からフェリーに乗って小一時間で直島に到着した。直島は町ぐるみがアートで町おこしをしている。島内には町営のマイクロバスが巡回していて、主だった施設を移動することができる。まず一番遠い「地中美術館」を見学する。この美術館、展示品は少しだけで建築空間そのものがアートということらしい。「安藤忠雄美術館」とでも名前を替えたほうがよいのでは?。その後、もう一つの美術館を見て見学は終り。まだ時間があるので、「港のある本村に家プロジェクトとかいうのがあるようですよ」と誘う。つまり古民家を公開しているエリア。こうして念願の直島探訪を果たすことができた。
TDL(千葉県浦安市)
2007年5月

娘に「テストでいい点をとったら東京ディズニーランドへ連れて行ってやる」と約束をしたら偶然にも目標の点をとってしまった。東京ディズニーランドは私の最も嫌いな場所である。何故、他国の文化にあれほどまでに熱狂して、しかもごった返しているところに行ってアトラクションに1,2時間も並ばなければならんのか。まったく理解できない。しかし、約束は約束である。こうなったら前向きに取り組むしかない。つまりは、TDLを町並みとして捉えて楽しもうという企画である。

GWの翌週の週末が空いていることは知っていた。この程度の人出なら私も楽しめるかもしれない。園内を巡りながらつくられた町並みを探訪家の目で見てみる。アトラクションに並んでいる最中にも建物の造り方にチェックを入れる。ところが、これがなかなか良く出来ているいるではないか。不特定多数の人々が触るので本物の材料は使えず全てが簡単に壊れない材料で造られているフェイクであるが、そのこだわりや技術は大したものである。みんな意識していないだろうが、こうした背景となっている空間造りの拘りがディズニーランドの魅力になっているのであろう。
私はすっかり魅せられてしまい、「今度はディズニーシーに行きたいね」などと口走っていた。この約束を娘は絶対に忘れはしないだろう。
関ヶ原(岐阜県関ヶ原町)
2007年5月

京都で建設中のビルの石検査で、また関ヶ原を訪れた。
関ヶ原は以前訪れているが、町並みをきちっと歩いていない。旧中山道はそのまま幹線国道となっているので車が停められずやり過ごしていた。今回、歩いていないエリアを歩く。
旧宿場町を行って来いで小一時間。所々に伝統的な造りの建物が見られた。町の西の端で、米原駅から工場に向かう送迎車に乗っている同僚に携帯電話で連絡をとったところ、もうすぐ関ヶ原の町に着くという。ということは今自分が居る場所の前を通る。道端で待機し、その車を捕まえて乗せてもらった。「何でここにいるんですか?」「いや、ちょっとね」
中津(大分県中津市)
2007年6月

北九州空港は最近完成したばかり。周防灘に面する人工島が空港である。あまり到着時刻が遅いとバスがなくなるので、最終から一本早い便で飛んだのだが、羽田の天候が悪く1時間以上遅れてしまった。北九州空港から行橋へのバスは路線バスなので遅れた飛行機を待っていてはくれなかった。しょうがないので高いお金を払ってタクシーで行橋まで行く。4000円もかかってしまった。ビジネスホテルの周りは、地方の小都市にしては結構にぎやかなネオン街。一杯飲みたい気持ちもあったが、明朝に備えてわき目も振らずホテルに入って即休んだ。
翌朝、行橋のビジネスホテルを出ると周りは歓楽街。調査したい雰囲気の町だったが、時間がないので中津へ向かう。

中津は大分県の端っこの町。かつては海に面して城郭があり、その東南にL字形に城下町が形成されていた。中津に与えられた時間は1時間半。駅が旧市街から離れているのと見所が絞られていないので、この時間は結構厳しい。早足でまずは西方の町を目指す。城下町は直線的に整然と計画されている。いたって均質であるため要所が絞りづらく、歩いていてもつまらない。次に城下の東側の兵庫町を歩く。ここも一直線で見所といえそうな町家が無い。せっせせっせと一周して駅に戻ったが収穫はあまりなし。ところが最大の見所は寺町にあったようだ。見事に落としてしまったが、寺町なので別に気にしない。
長洲(大分県宇佐市)
2007年6月

長洲は国東半島の付け根にある町で、地図からするといかにもありそうな町である。孫右衛門さんが先行して歩いていて情報も得ている。

ここも駅から町並みが遠い。やはり時間がないので急いで歩く。駅から真っ直ぐ西へ1キロ弱歩くと上町である。大分県の旧市街というのは何故駅から遠いのか。
上町には街道に沿って数件の古い町家が見られた。2階を漆喰で塗り籠めた北部九州らしいものである。
ところがここから先の狙いが定まらない。港近くには何らかの町並みがあると推測されるが、空中写真では見極められていない。かなり歩いて分散する見所を一通り押さえることは出来たと思う。後で孫右衛門さんのサイトで再確認したら、全ての町並みが重なっていたので一安心。しかし、駅に戻ったときには持病の膝痛が再発し始めていた。
宇佐(大分県宇佐市)
2007年6月

宇佐神宮の門前町を訪ねる。ここも宇佐駅から離れているので、タクシーを使う。
宇佐神宮は全国の八幡宮の総本家というから、かつてはさぞ多くの参拝客が訪れたのであろう。しかし、門前町は今では単なる住宅地。古い町並みはほとんど残っていなかった。
宇佐神宮そのものは勿論?見ずして駅に戻る。駅前には営業していなさそうな駅前旅館が建っていた。
湯田温泉(山口県山口市)
2007年6月

仕事の建物視察で山口市を訪れた。宿泊した湯田温泉は市街地の真っ只中で、いわゆる温泉街の風情は無い。しかし、何かあるだろうと朝食前に旅館の周りを歩いてみた。看板を出して営業している旅館やホテルは全てが近代的な建物であるが、やや外れると営業をやめた旅館建築が残っていた。今では単なる住宅として使われているのであろうが、なんともいえない郷愁を感じる。

市内視察を一通り終えて山口線湯田温泉駅に戻ってきたら、ちょうどSLやまぐち号が発着するのに遭遇した。汽笛の音はとんでもなく大きくビックリした。
SLやまぐち号動画
高倉通(京都府京都市)
2007年6月

京都洛中の町並みを歩くのは難しい。碁盤目状の町の何処に古い町並みが見られるのだろうか。一見同じように見える京都の街だが、町ごとの歴史や業種、建築規制、旧家の存在など一定の法則がありそうだが、まだそれを解き明かす域には達していない。

これから高倉通を丸太町から四条まで歩いてみようと思う。なぜ高倉通かというと、旧日銀京都支店や大丸百貨店の側面が面している通りなので何かありそうである。

京都御所の入口付近だけい入ってから、早速高倉通を下る。隣の堺町通も気になるのでジグザグに歩いていたら、堺町通にモダンな2階建ての近代建築を発見した。ここは木材加工で有名な宮崎木工の本店だった。
高倉通に戻ってさらに下る。御池通を渡った御池下ル辺りにいい町並みを確認。旧日銀付近もいい空間を形成している。最後の大丸百貨店は四条通りが改装されているものの高倉通に面する側面はオリジナルのファサードが残されていた。
築地場外市場(東京都中央区)
2007年7月

東銀座での仕事の後、近くの築地で昼食をとった。有名な店のようで焼鳥丼は絶品であった。

その後、近くの場外市場と築地6丁目をWalking。場外市場はもともと市場のやっている早朝だけの町だったが、一時の寿司ブームで火がついて今では一日中賑わっている。東京観光のスポットとして完全に認知されたようだ。
この町は実は築地本願寺の境内であった場所。関東大震災の後の震災復興都市計画で晴海通りによって境内が分断され、同年に作られた築地中央卸売市場のほうの門前町になってしまった。戦災を免れたこともあって、場外市場はさらに複雑化し高密化し、現在のような不思議な空間になった。
町を歩くと震災後に東京で流行した銅板貼の看板建築やマンサート屋根の木造3階建て建築をたくさん見かけることができる。
築地(東京都中央区)
2007年7月

築地本願寺の裏側の6丁目界隈も奇跡的に戦災を免れたエリアである。出桁造の町家や銅板貼の看板建築などが辛うじて残っている。
下町の非戦災地区としては、佃島、根津、下谷が有名だが、それらもかなり開発が進んだ。佃島はまだ健在だが、根津や下谷はもう風前の灯火である。すでに築地6丁目の方が、古い町並みとしては格上であろう。

夏の南中した太陽に照らされた銅板の輝きは美しい。こういう材料は作ろうとしてできるものではない。長年の歴史がしみこんで風合いを出しているのである。
浜金谷(千葉県富津市)
2007年7月

夏休みだというのに娘を何処にも連れて行っていない。7月最後の週末、アクアラインを渡ってサクッと房総半島をドライブしよう。娘の目的は御宿でショートコースゴルフ、私は数箇所の未訪の町並みを訪れたいというもの。

アクアラインは金がかかるのでいままであまり利用したことがなかったが、今回は時間優先で活用した。アクアラインから先の高速道路も一部完成していた。驚いたことに東京目黒から外房の御宿まで1時間40分である、アクアライン恐るべし!
御宿では猛暑の中、娘とショートコースのゴルフ対決。また2打差で辛うじて勝利。小6の娘に2打差とは、つくづくゴルフを止めてよかったと思っている。

午後はパパの調査に娘を付き合わせる。外房の御宿、内房の勝山、保田と巡って収穫が無い。鋸山の麓の浜金谷は房州石の積出港であり、集落内に多くの房州石の建造物が確認できる。満足満足。しかし、その後の上総湊、富津は再びスカ。浜金谷以外は全てリストから削除してやる!
生駒(奈良県生駒市)
2007年8月

今年7月のダイヤ改正で品川6:00始発の「のぞみ99号」というのが出来た。JR東海としては念願の品川始発である。そしてこの列車が新型N700系である。エキスプレス予約で早特グリーン車を予約しているので、普通車料金でグリーン車に乗れる。京都から近鉄特急を乗り継いで9:00前に生駒駅に着いた。

生駒山の中腹に宝山寺という寺があり、その門前町は料理屋や旅館が建ち並ぶ遊里になっている。そこを目指して駅前から歩く。
参道を歩き初めて直ぐに木造3階建てが現れた。これは期待できる。さらに行くと右手路地に特殊な公衆浴場があり木造3階建てがあってさらに期待できる。すると参道はアスファルトから石段に変わり山を登り始めた。石段の間隔は徐々に狭くなって斜度は急になってくる。朝といえども8月、背中は汗びっしょりだ。時折日陰で休みながら門前町という場所まで上った。振り返ると奈良盆地が一望できる。メインの参道は宝山寺を目指してどんどん上っていて両側に旅館や料理屋並んでいる。一方メインの参道の左右に一本づつ別の道があって、ここも石段になって上っている。生駒新地と呼ばれる遊里はこの3本の坂道に形成されていた。宝山寺の山門前にたどり着いたときにはもうクタクタ。平野から吹き上げる風に涼んでから帰りはケーブルカーで下った。なんで登りでケーブルカーを使わなかったのだろうかと後悔した。
 
今までの旅の記録はこれで全てアップし終えた。最初に記載したとおり、今後はめったには遠出は出来ない身である。これからは探訪編を中心に今まで訪れた集落町並みをテーマごとに紹介していくことになるだろう。近場の探訪や遠出も皆無ではないので、少しずつ探訪も続けられると思う。

右の画像は7月に訪れた臨海副都心の有明から眺めた東京都心方向の夜景。東京もどんどん変化しているし魅力は尽きない。東京の再発見の旅をまた始めるのも面白いのかもしれない。