小杉 中原街道の宿場町から工場町を経て住宅地へ

神奈川県
川崎市
中原区
小杉陣屋町1,2




交通
東急東横線武蔵小杉駅下車






小杉



2007.04.15
中原街道は、江戸虎ノ門から平塚中原に至る、武蔵と相模を結ぶ中世以来の街道である。1590年に徳川家康が江戸入りしたときもこの街道を使ったといわれ、その後東海道が整備されるまでは江戸へ向かう重要な道であった。家康の死後、遺骨が久能山東照宮から日光東照宮へ分骨される際にも利用されたという。江戸時代、将軍家は小杉と中原に御殿を造り、駿府との往来や鷹狩に利用した。
小杉宿はそんな由緒のある中原街道の宿場町であり、徳川御殿のある町でもあった。御殿は中原街道に面しており、丁度御殿の前に鉤型があった。この鉤型は現在でも残っている。鉤型より東京寄りの部分に、所々古い民家や長屋門が残っていてかつての旧街道時代の面影を僅かに感じることができる。
左が江戸方面、右が平塚中原方面。中原街道と玉川(多摩川)の間に徳川家の御殿があった。その表門の前に鈎型があった。(上)

中原街道沿いの民家。(左)
中原街道沿いの民家。
中原街道沿いの民家。
旧名主家と長屋門
江戸時代この辺りが名主の代表格だった安藤家で、代官から賜った長屋門が残っている。
武蔵小杉は戦後工場がたくさん立地した。今では工場の移転が進み高層マンションなどに再開発されている。(上)

中原街道旧小杉宿の町並み(左)
出桁造りの民家が見られた。
出桁造りの民家の蔵
残る鈎型。この右手に徳川家の御殿があった。
中原寄りの鈎型。
中原街道の名の由来は平塚市中原である。川崎市中原区も中原街道が通っていることからその名が付いた。
鈎型を曲がらずに真っ直ぐ突き当たると西明寺がある。江戸時代からあって徳川御殿を守っていた。
参考資料 リンク
川崎市

参考文献