北九州 肥前U (2003.12.29)
 

ハウステンボス駅前のホテルローレライ(何でドイツなんだ!)で早朝6時起床。なぜか鎧が展示してあるホテルフロント(なんで鎧なんだ!)に一言断る。車のエンジンをかけたときはまだ真っ暗である。今日は、これから有明平野の集落町並みを10ヶ所以上廻らなければならない。有明平野は、今回の旅の最大の目的地なのだ。
夜が明け始めた高速道路を飛ばして旧長崎街道の塩田宿に急ぐ。塩田宿は長崎街道の宿場町で、国道のバイパス化、電柱の地中化などの整備がされているきれいな町並みだ。塩田は伊万里と並ぶ肥前焼の積み出し港だっただけあって、なかなか大きな商家が見られる。

鹿島の旧城下町に入るがなかなか武家屋敷町が見つからない。一般に城下町の場合、町人町はたやすく見つかるが武家屋敷は探すのに苦労する。町の南の岡の上に城があり、そのまわりに武家屋敷町があった。草葺のままのくど造り民家が多く見られた。「この調子だと有明平野ではたくさん見られるだろう」と思ったが、他はあってもトタンでカバーされていて、結果的にくど造りを見たいなら鹿島市が一番残っているようだ。
鹿島の港であり、長崎街道の宿場町である浜町へ向かう。この町は、「いらかぐみ」のKさんお勧めの町並みだけに期待が膨らむ。狭い道幅の両側に、大きな妻入土蔵造りの造酒屋が並ぶ町並みは迫力がある。朽ちた土壁がまたいい。
浜町の続きにある舟津集落は、「なんでこの町だけこんなに草葺民家が残っているの?」と疑問に思うほど町並みとして草葺屋根が連続する。
さらに鹿島市内の集落を探訪。円錐形火山の多良岳の山麓を走る。三河内という集落にまとまって草葺民家が残っていた。その中には、傍らに煉瓦煙突を上げ、草葺のままのくど造りである造り酒屋も見られた。

引き返して平野部に戻り、有明海に面する干拓地集落を訪ねる。有明町の神明は戦前から戦後にかけて行った国有干拓地。2km〜3km 一直線でしかも一列で連続する町並みは計画農村ならではの大スケールだ。
ここから、平野内部のいくつかリストアップしていた集落を訪ねるが、特筆すべきものが無いのでリストからも削除した。白石町堤は古い城下町で、入母屋妻入の土蔵造りの商家が建ち並んでいる町並みが見られた。
さらに平野を北の端まで走る。小城町は平野の端の谷口集落。ここでは町家としてのくど造り民家が並んでいる町並みが見られて面白かった。

まだまだ時間がある。車を東へ走らせ、これもKさんに教えてもらった神埼へ。Kさんのスケッチで見て、水路際の町並みに興味があった。水路にはみ出して建っている家は違反建築なのか?。丹後半島の伊根町もそうだが、水際の集落というのは境界があいまいで既得権みたいなものがあるのかもしれない。
神埼の町を見終わったところでもう日が暮れてきた。しかし、一か八かもう一箇所チャレンジしてみる。ずっと南下し蓮池へ急ぐ。「蓮池」の交差点に到着したとき、もうかなり暗い。町並みはどこなのか?。ぐるぐる廻っているうちに鏝絵の施されている蔵造りの民家を見つけた。しかしなんか物足りない。「もしかして」と県道の反対側も探索したら、あった。くど造りの町家が並ぶ魚町の町並みが。しかし、もう真っ暗なので、電信柱にカメラをあててシャッタースピードの長〜い撮影となった。

佐賀駅のホームに特急かもめ号が入ってきた。扉が開いて、満足気そうに家族が降りてきた。子供が走ってきて私に飛びつく。はたから見ていた他人からは、いったいどんな家族に見えたのだろうか。
 
塩田
鹿島
舟津
三河内
神明
小城
神埼
蓮池