近世は宿場町 近代は酒造業で栄えた町並み

佐賀県
鹿島市
浜町




交通

JR長崎本線肥前浜駅下車

国道207号線




浜町




2003.12.29
肥前浜宿は浜川の河口につくられた在方町で、少なくとも中世の室町時代には町として成立していたと考えられている。江戸時代は長崎街道多良往還(多良海道)の宿場町として。また有明海にのぞむ港町として栄え、明治以降は酒造業や水産加工業によって富を蓄え、豊かな町並みが形成された。人口も多く、江戸時代から「浜千軒」と言われ、藤津郡でも有数の町であった。
町並みは、江戸時代から昭和初期にかけての建物によって形成されており、形態はバラエティに富んでいる。また、浜宿は現在九つの地区に分かれているが、江戸時代からそれぞれ異なった業種の人々が住み分けをしていたので、現在でもその易経が残り、地区ごとに町の雰囲気が異なっている。
肥前浜宿は浜川の河口につくられた在方町で、少なくとも中世の室町時代には町として成立していたと考えられている。江戸時代は長崎街道多良往還(多良海道)の宿場町として。また有明海にのぞむ港町として栄え、明治以降は酒造業や水産加工業によって富を蓄え、豊かな町並みが形成された。人口も多く、江戸時代から「浜千軒」と言われ、藤津郡でも有数の町であった。
町並みは、江戸時代から昭和初期にかけての建物によって形成されており、形態はバラエティに富んでいる。また、浜宿は現在九つの地区に分かれているが、江戸時代からそれぞれ異なった業種の人々が住み分けをしていたので、現在でもその易経が残り、地区ごとに町の雰囲気が異なっている。
浜郵便局跡(八宿公民館)
昭和12年に建てられ昭和50年まで使われた郵便局。このあたりの地名「八宿」は、「八本木宿」という地名が短くなったもの。
山口家住宅(19世紀?)
この通りで最も古いもののひとつとされる住宅。入母屋造りの土蔵造りで妻入り2階建て。山口家は元武士であったため、内部は格式の高いつくりであるという。
造酒屋の町並み
浜町で酒造業が盛んになったのは元禄年間(17世紀末)からいわれている。狭い道幅の両側に高さの高い入母屋妻入の土蔵造りが並ぶ町並みは、その朽ちた土壁効果もあってか迫力がある。
窓の上の壁に「魚市」と漆喰で表示されている。
蔵造りや塗屋造りばかりではない。いろんなスタイルがあるのは、長い間栄えた町であり、時代時代の様式があるからであろう。
魚市場
この魚市場は、戦前は山口魚問屋だった建物。戦後は、浜魚市組合となり、浜地区はもとより現在の鹿島市内や、遠くは武雄の仲買人が来て、毎朝非常に賑わっていたという。当時の浜にはかまぼこ屋や魚屋が多かったという。
明治以降酒造業が自由になったが、明治34年に浜町では8軒の造り酒屋があった。浜の酒造は大正年間から昭和初期までが生産量のピークであったという。昭和12年以降に酒造業が規制されたが、13年の造り酒屋があった。
参考資料 リンク
鹿島市

参考文献
『日本の町並みU 中国四国九州・沖縄』 西村幸夫監修 平凡社