東奔西走 2011 その3

今年はカメラにはまったせいか、近所の町並み探訪に出かける回数が増えています。カメラ本体もOLYMPUS EPL-2にはじまり、NIKON D7000、LEICA M9と変遷、合わせてレンズもずいぶん購入しました。このはまり具合、困ったものですが、
写真の被写体としての幅が広がっているのはいいことだと思っています。

飯能(埼玉県飯能市)
2011年8月

溜まっていたサイトアップ作業が全て完了しました。
そうするとまたどこか行きたくなる。もう、病気ですね。
朝、なんとなく北西に向かっています。池袋でどっちに乗ろうかな。東武東上線or西武池袋線?後者に乗りました。

飯能。いつか歩いてやろうと思っていたリベンジものの町並みです。旧秩父街道の宿場町ですが、この地域の交通の要衝らしく大きい街。江戸東京で流行った黒漆喰の蔵造りがありました。
そして、
仲町から左へ折れると旧遊里があった
入間川が町並みの近くを流れていて、市民が川水浴をしてました。
飯能銀座では看板建築を観察。

しかし、暑いぞ!いざ川越へ向かいましょう。
 
 

飯能の町並み

飯能の旧遊里
 
川越(埼玉県川越市)
2011年8月

川越駅前のカフェで一服.。美味しそうなケーキについつられてたべてしまった。

おお!鏡山酒造が保存されてる!
この造り酒屋の保存計画はかれこれ15年くらい前に私が提案しました。三つの時代の蔵を残しレストランや物販店に改装する、設備を新しくした平成蔵を建てて酒造りをつづけてはいかがかという案。その時、バブルも弾けたあとだしご主人はやっぱりまだ今まで通りの酒造りをつづけたいというので実施されませんでした。その数年後ご主人はお亡くなりになったようで、もう誰も継げなかったようです。マンションにならず、市が買い取り、
こうして明治蔵、大正蔵、昭和蔵が私の提案したのと同じように保存されたのは喜ばしいことです。自分が設計に携わることができなかったのは残念ですが、何かきっかけになっていたとしたら嬉しいな。
 

鏡山酒造の明治蔵

昭和蔵を改修したレストラン
 
鮎喰(徳島県徳島市)
2011年8月

真夏の沖縄の翌日は徳島です。
早朝、徳島の中心部からやや離れた鮎喰(あくい)という町を歩きました。
ほぼ全域が戦災にあっている徳島市内の中での貴重な町並みです。この地域らしい、本瓦屋根の美しい民家が並んでいた。丸瓦の軒先端に文様がないのがあって、何となく足りない感じ、のっぺらぼうな。
JR鮎喰駅は土手の上の駅だった
 

徳島市鮎喰の町並み
藍畑(徳島県石井町)
2011年8月

数年前の徳島へ来た時に、飛行機の時間が迫っていて探したけど見つけられず
あきらめた町並みをリベンジです
阿波藍の生産で富を得た藍畑地区。

土蔵の白壁の漆喰がたくさん割れていて、補修の仕方がまちまちだったためか、
見事な現代アートでした。
 

藍畑のグラフィックアートな壁をもつ蔵
 
脇町(徳島県美馬市)
2011年8月

脇町に来たのは3度目になります。いままで歩き損ねていた一角を歩きます。
いわゆる遊里

旧市街の中心からやや離れて、
古い映画館があって、その後ろにスナック街やかつての遊郭時代の建物らしいのがありました。
そして、うだつの町並みは、やはり重伝建地区になっているだけあって、素晴らしい。
 

脇町の旧遊里
 
玉造温泉(島根県松江市)
2011年9月

時は変わって9月の下旬。これまた、
道東紀行釧路から帰った翌日に島根県へ飛ぶ忙しさ。仕事とはいえ、体力もつかなぁ。

松江城に初めて上ったけど、古い当初の城なんですね。
安定した屋根の造形にほれぼれしました。
松江からから玉造温泉へ移動するバスの車窓から宍道湖の夕景。湖面に映った夕陽をバックに丁度カップルが通り過ぎてくれた。
このカップル、絵には似つかわしくない熟年です

玉造温泉は山陰屈指の湯。団体客相手に大型の旅館がずくずく建ってる。川が真ん中に流れていて、色んな形の橋がかかっています。城崎温泉の大型旅館街版って感じ。

でました!スナック集合体建築!北海道道東紀行で見たものとは違い、しっかり二棟に別れていました。
 

宍道湖の夕景

玉造温泉の遊里界隈
 
大社(島根県出雲市)
2011年9月

出雲大社参道、一番大社寄りのところにある老舗旅館。
竹内マリアの実家だそうな

出雲大社。大社造は妻入りで入口が右によっています。
アンシンメトリー。鳥居もさらに右に寄ってるため、鳥居から見ると斜めに正面のように見える。むかしの人はよく考えたものですねぇ。
本殿の大遷宮の工事現場を見学しました。
 

アンシンメトリーでもバランスよく見せる出雲大社
 
大井関ヶ原(東京都品川区)
2011年10月

三連休三日目。初日に飛ばしすぎて、昨日は疲れて一日中寝てました。もったいない。今朝もかなり眠いけど頑張って家を出ました。どこあるこうかな。大井町駅からスタート。

いきなりなんでもない場所に夜の飲食店が並んでいる。そして、どうしてコインロッカーがあるんだろう。そこを抜けると匂ってきました、、、町並みの香りだ。
でたぁ、戦前銅版看板建築!ここらも非戦災地区だったんだ。未訪地帯でスイッチオン!
商店街から背後の住宅地に入る。品川区は
木造密集地帯としては東京でもトップクラスなんですが、その神髄的なエリアですぞ!ここは。
 

大井町関ヶ原町の戦前建築

大井町関ヶ原町の戦前建築
 

 
厚木(神奈川県厚木市)
2011年10月

唐突ですが、神奈川県の厚木を歩こう。
ロマンスカーに乗ってシュッパーツ!
厚木の旧市街は相模川と旧矢倉沢街道にそっていて、駅や行政関係は離れている。が、一つ入った寿町が名前からしてあやしい。
予想的中、遊里だった

 

厚木で予測的中、見つけた寿町遊里
 
秦野(神奈川県秦野市)
2011年10月

厚木歩きは終わったんだけど、
物足りないな。小田急線でさらに進んで、秦野を歩いてみよう。旧矢倉沢街道の旧宿場町。駅前のデッキからは丹沢連峰大山を背景に街が見える。
旧街道の商店街(江戸から松田へ向かう)には
出桁造りの町家がちらほら。十字路から大山方面へ向かう街道(反対は平塚方面)にあったレトロなタバコ屋さん。秦野は全国的にも屈指のタバコ生産地だったそうな。
 

屈指のタバコ生産地にあったタバコ屋さん
 

箱根湯本(神奈川県箱根町)
2011年10月

うーむ14:00.。まだまだいけるぞ!
小田原で乗り換えて
箱根登山線の箱根湯本駅まで来てしまいました
箱根湯本って今まで何十回も通っているけど、駐車場がなくて歩けなかった。今回、悲願の散策です。国道1号線沿いのお土産アーケードを抜けると古い看板建築が現れた。
湯本橋を渡ると温泉街です
そして、箱根湯本見番所もあった。
 

箱根湯本の木造3階建て旅館
 
日本橋(東京都中央区)
2011年10月

ライカマニアの上司がレンズを貸してくれました。
ライカズマロン35mm/F3.5。早速携えて日本橋界隈を歩きます。

友人から教えてもらった一画.。
すげーです。日本橋の真っ只中でズラッと残ってる。
日本橋一帯は戦災にあっていないためかつてはもっと残っていました。歩いてはいたものの、いつかちゃんと取材しなきゃと今になってしまった。昭和通りの西側で、古い民家の町並みとしては
もうここしか残っていないでしょう
 

日本橋の街の真っただ中に残る戦前建築群
 
神田多町(東京都千代田区)
2011年11月

ズマロン最高!レンズのことです。つづけて内神田を歩きます。

神田多町界隈から歩き始めたけど、
古い民家はずいぶん減りました。以前より目をつけていた立派な奴は残っていますが、マンサート屋根を並べる交差点に建つ戦前住宅は、ついに解体が始まっていた。残念!
 

神田多町界隈の古い民家も減りました
 
神田神保町(東京都千代田区)
2011年11月

神田神保町に入ります。靖国通りでは古本市が開かれていて大勢の人でにぎわっています。それじゃあと、建築専門誌を扱っている南雲堂行ってみたら、
なんと休み!商売っ気ないなぁ。

神保町では、もちろん戦前建築がずいぶん姿を消していますが、一方で
明らかに残してるなぁというのもあってうれしく思います
 

神田神保町 有名な一角
 
九段(東京都千代田区)
2011年11月

日本橋川渡って九段下まで来ました。
そこで、友達が古い町並みを発見!
ん?と近づいていくと戦前建築が並んでいるではありませぬか。今まで気づかなかった。
戦災のない東京。
まだまだ都心部でも小さな町並みは残っているものですね
 

九段下に埋もれていた戦前の町並み
 
さてさて、今年ももう11月半ば。仕事は忙しく、11月下旬に予定していた広島企業城下町紀行も取りやめになってしまいました。12月には奄美大島・沖永良部島が予定されているけど、これはなんとしてでも実行せねばなるまい。その合間に、しこしこ近在を歩くことになるでしょう。

そんな中、来年からの構想が沸々と湧き始めています。切のない島旅をいったん中断して取り掛かるものとはいったいなんでしょう。。。