旧中山道 京発五日目(2004.05.01)
 

昨年の9月に開始した旧中山道の宿場を辿る旅ももう8ヶ月になる。とぎれとぎれに歩いた日数は、江戸日本橋〜本山宿が7日、京都三条大橋〜大井宿が4日、計11日である。東から武蔵、上野、信濃、西から山城、近江、美濃とやってきた。残るは木曾、ここでクライマックスを迎える。今日はそのLAST2日目で、いよいよ木曽路に入る。

今日一日で、中津川から木曽福島までは歩きたい。時間を最大限に使うため、多治見のビジネスホテルに宿泊し、早々に床に就いた。朝、午前5時起床。フロントを叩き起こして出発である。
江戸発、京発ともに宿場町は順番に訪れてきた。前回、恵那の大井宿で終えているので、今回は中津川→落合→馬篭→妻籠→三留野と歩くべきなのだが、この順番だと妻籠がお昼前でゴールデンウィークの観光客でごった返しているところを歩かなければならない。それはさすがにいやなので、ここは禁じ手を使って妻籠→馬篭→落合→中津川→三留野の順で廻ることにした。妻籠は7時前に歩かないとダメなのだからしょうがない。

妻籠宿。何度訪れたであろうか。しかしいつも誰かと一緒にさらっと歩いているにすぎなかった。今回は一人なのでじっくり歩ける。7時前の妻籠はまだ朝陽も差し込んでいない。観光客は2,3組いる程度。ほぼ独り占めである。すべての家は雨戸がしまっている。一番奥の尾又地区まで歩いて引き返してくるとようやく朝陽が差し込んできた。

妻籠宿の峠寄りに「大妻籠」という集落がある。いままで訪れたことは無かった。名前からすると妻籠より立派で偉そうに聞こえるが、大妻籠の集落は自然の中に抱かれた静かな小集落。かわいらしい民家が3棟並んでいる綺麗な集落である。

馬篭峠を越える。越えると「」という集落が現れた。立ち寄ってみると大妻籠同様、こじんまりとしたいい集落である。さらに下っていくと馬篭宿である。全くの斜面上に一直線に下る宿場町。ここも2度は訪れているはずだが殆ど記憶に無い。町並みとして、大火で焼けたため古いものは見られないが、石畳の坂道と平行する用水路の水の流れと背景としての中津川盆地の遠景がすばらしい。江戸時代、街道を歩いた人々もあの中津川盆地を眺めて「木曽路をようやく抜けた」と実感したことであろう。

馬篭から中津川盆地に向かってひたすら下っていく。旧街道は道路とははずれて石畳の十曲峠を経て落合宿へ至る。落合宿は美濃路の入口にあたる宿場で、恵那山の裾野上にある緩やかな坂道の町。山に囲まれた木曽路の宿場とはうって変わって空が開ける。

中津川の市街に入って旧宿場町を探す。いつもであれば1/25000地形図を用意して場所を見極めるのであるが、今回は怠けて用意してこなかった。カーナビと睨めっこしながら桝形を探し、そこから入っていって旧宿場町の町並みを見つけることができた。美濃路らしく本卯建を上げた町家が、桝形のコーナーに向かい合って建っている緊張感ある町並みが印象的である。

さて、ここからもう一度木曾川に沿って上っていく。三留野宿は現在は南木曾町の中心市街。いつものように国道から斜めに分岐する旧道を入っていく。郵便局があったのでこの辺りであろうと車を停めて歩く。古い町並みとしてはさっぱりだが、南木曽駅周辺の新市街が面白い。木曾川縁の崖にはみ出して家々が建っている「崖家づくり」の町並みが見られた。帰ってから調べたら、旧宿場町は駅から大きく離れたもっと江戸よりであった。月末の中山道最終日で再訪しなければならない。

木曾川に沿って木曾11宿をさらに北上していく。野尻宿は「七曲がり」と呼ばれ、細い道幅の町並みがくねくね折れ曲がっている宿場町。その特徴的な町並みは20年前の記憶にも刻まれていた。通りの先に常にコーナーの家が見えていて、奥行き感と期待感を抱かせてくれる面白い町並み。本来の目的は防衛機能であったようだが・・・。

須原宿は野尻宿とはうって変わって広い道幅で直線的な町並み。「鉄砲町」の異名をもつ。通りの随所に、清らかな湧き水をあふれんばかりにたたえた「水舟」なる共同上水がストリートファニチュアとして効果的である。

寝覚めの床は今回は通り過ぎることとして上松宿へ向かう。上松は今でこそ国道19号線がバイパス化されたが、近年までは市街の中を幹線国道が貫通していた。したがって、古い町並みなど記憶にも無かった。かつて宿場町だったエリアを走るが全くなし。あきらめかけた頃、ちょっと裏道に入ったらそこにあった。旧道が折れ曲がっていたため一部が国道化されず、戦後の大火からも免れた町並みが、100Mほどであるが残っていた。しかし、面白いのはその場所よりも大火の後にできた町並みの方。それは、大火の教訓からいきついた土蔵造りで、木曽谷でも珍しいものになっている。

早朝から何も食べていなかったのでお腹が空いてきた。ちょうど昼をまわった時刻。となれば、木曽福島の車屋蕎麦にいくしかない。木曾川の対岸の市営駐車場に車を停めて歩く。木曽福島も昭和初期に大火があったため、古い町並みはあまり残っていないが、台地上の上ノ段地区に残っている。また、狭い土地に必死に建設した本町の木曾川縁の「崖家づくり」も見所である。車屋蕎麦はたいそう並んでから食べたが、かつて味わった感動は無かった。

木曽福島を歩き蕎麦を食べて15時。まだまだ歩ける。
次の宿場、宮ノ越に向かう。途中、原野を通ったらなかなかいい町並みがあるではないか。車を停めて間の宿原野を歩く。宮ノ越は20年前に歩いた印象とは違って町並みとしては今ひとつであった。しかし、民家の出入口や張り出した2階部分の持ち送りなどに彫り物の装飾が施されているのが面白い。

本日の中山道、最後が薮原宿である。ここは、22年前に隣の奈良井とともに歩いた町である。もちろん記憶には全く残っていないのではじめて歩くのと同じ。妻籠や奈良井が観光地化していったのに対し、薮原は観光化されていない。それでいて、櫛物や漆器などの木工業が盛んで店も並んでいる。生活と産業が感じられるいい町並みである。

次回はとうとう中山道最終日。町並みWeb集団「いらかぐみ」の皆さんと奈良井、平沢、贄川を歩いて江戸発と京発の中山道が接続される。月末のオフ会が楽しみだ。

帰りに初期中山道の宿場町でもあった伊奈街道の小野宿に立ち寄った。中山道江戸発7日目の時にも立ち寄ったが、その際町並みの場所を間違えていたため再々訪である。巨大な本棟造りの向かい合う町並みは、中津川の本卯建の向かい合う町並みを越えてすごい迫力である。なんでこんなに大きな民家が造られたのであろうか。
新しく購入した日産エルグランドは非常に快適である。帰りは高速を使わず国道20号線を東京まで走ったが大して疲れなかった。
中津川
落合
馬篭
大妻籠
妻籠
三留野
野尻
須原
上松
木曽福島
宮ノ越
薮原
小野