須原 水害の後に計画された「鉄砲町」の町並み

長野県
大桑村
須原




交通

JR中央線
須原駅下車



国道19号線




須原




2004.05.01
中山道の江戸から数えて39番目の宿場。須原宿は当初、現在よりも下流の川寄りにあったが、正徳年間に洪水で流失してしまったため、享保2年(1717年)に現在地に町割りされた。その町割りの際には街道の中央に用水が計画されたが、現在は用水を埋めて道路としているため、とても道幅が広いのが須原宿の特徴となっている。隣の野尻宿が曲がりくねった形態から「七曲がり」と呼ばれてたが、須原宿はまっすぐな形態から「鉄砲町」と呼ばれていた。
須原宿のもうひとつの特徴が、豊富な湧き水を裏山から引いて檜をくりぬいた長い水槽にたたえている「水舟」という共同上水で、通りのところどころに配置されている。また、水害にあった苦い経験からか、水神も随所に祀ってある。
須原の古い町家は、明治期の大火以降のものが大半を占めている。木曽谷の特徴である出桁造りの2階家が多く、軒線と張り出した2階ラインを揃えた直線的な印象の強い町並みである。

道幅が広いのは、中央に用水路があったため。現在が埋められ道路となっているが、十分に広いため両脇の側溝は蓋がされていない。

軒線や2階の張り出しラインがそろった直線的な町並み。
木曽谷の町家は屋根の勾配がゆるく、主屋の奥行きが深い。須原宿のように道幅が広くないと屋根面は拝めない。
脇本陣西尾家
慶長年間より脇本陣、問屋、庄屋を勤めた。酒造業は江戸時代の創業という。
西尾家には多くの古文書が残されており、須原宿の歴史を知る貴重な文化財となっている。
須原宿の町並み
須原宿の町並み
唯一、曲がっているところの町並み。
水舟
湧き水を裏山から引いたものを、檜の大木をくりぬいた舟にあふれさせている共同上水。
参考資料 リンク
大桑村

参考文献
『図説 日本の町並み5 中部編』 太田博太郎他 第一法規
『民家巡礼 西日本編』 溝口歌子・小林昌人 相模書房