昭和戦後(昭和25年〜昭和63年) | |
昭和49年 1974年 |
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丸の内の戦後復興は、昭和25年頃からのビル建設から始まった。昭和27年の新丸ビル、32年の都庁完成などをかわきりに、高さ100尺(高さ31mは当時の高さ制限)の大型事務所ビルが建設された。この時点でほぼ丸の内の中の全域に渡ってビルが建ち並んだ状態となり、最初に建てられた一丁倫敦の三菱1号館から約80年かかって第一世代の丸の内が完成したこととなる。 昭和34年に発表された「丸ノ内総合改造計画」に従い、馬場先通りを中心に残っていた古い赤レンガオフィスビルたちは、次々へと高さ100尺の大型事務所ビルへと建て変わっていく。その際、南北に通っていた2本の裏通りは廃止され、仲通りが拡幅された。現在、丸の内の代表的な町並みが見られる仲通りはこのとき完成した。赤レンガや様式建築オフィスビルの町並みから、100尺の軒線のそろった近代オフィスビルの町並みへと変化した。そしてその中の所々に明治大正の様式建築が共存していた。 昭和40年代になると、東京海上本館、三菱銀行本店、日本郵船ビルなど、高さ70m〜100mの超高層ビルへの建替えが始まる。 また、歴史的建築物の景観保存も図られるようになり、東京銀行集会所(→東京銀行協会ビル)、第一生命館(→DNタワー)、日清生命館(→大手町野村ビル)が外観を残しながら超高層ビルへと建て変わった。 |
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