にっぽん集落町並み縦走紀行 
  
第10日 広島(広島県)~高松(香川県)
     八幡浜 大瀬
  新居浜
 

新居浜星越町(愛媛県)
 
 第10日、朝7:30、広島宇品港。これから高速船で松山へ渡る。音戸の瀬戸では慎重に徐行してゆくので、町並みを海からじっくり眺められて良い。そして、海が開け瀬戸内海を横断する。


広島→松山 高速船

 9:00松山観光港でレンタカーに乗り換える。今日の訪問地は3カ所しかないが、距離があるうえに高松空港19:20発の最終便に間に合わなければならないので、計画に余裕を持たせてはいるものの最終地新居浜での時間が読めない。街中のみならず、別子銅山の山腹までできれば行きたい。

 八幡浜10:30着。四国西海岸は何度も訪れてはいるものの八幡浜だけ空白だった。いらかぐみメンバーのレポでも評価が高いので、最重要未探訪地ではないが歩きたかった。駐車場にクルマを停めると目の前に古い町並みを確認。八幡浜は、「伊予の大阪」とうたわれた町らしく、産業が盛んだったころの立派な商家が街のあちこちに残っている。アーケード街の中にもレトロな看板建築が並んでいたり、遊里っぽい木造3階建てがあったり、川の対岸に伝統的な住宅街が見られるなど、見どころも多い。街の背景はみかん畑の山で中腹に集落があり、天界の村フェチの私はかなり誘われたが、ここは我慢だ。探訪時間1:10の予定を30分遅れてしまった。


八幡浜 背景の山はみかん畑の農地と天界の村



音戸瀬戸から音戸の町並みを眺める

八幡浜 産業が盛んだったころの商家が多く残っている

八幡浜 木造3階建ての旅館か妓楼らしき建物
 
 八幡浜からさっき通った道を松山方向へ戻る。四国の集落町並みは、地域ごとに特徴のある形態が見られ、おすすめスポットも多い。和蝋生産で栄えた内子(愛媛県)、阿波藍の生産で栄えた脇町(徳島県)、水切庇が美しい吉良川(高知県)、瀬戸内海の塩飽諸島にある笠島(香川県)が国の重要伝統的建造物群保存地区として保存整備がなされているほか、愛媛県では大洲宇和外泊、高知県の沖ノ島安芸興津、徳島県の祖谷山池田椿泊、香川県では、琴平引田高見島などを挙げることができる。

 中でも、八幡浜の背景に眺められた山腹の集落は西日本外帯山地の山岳集落の流れであり、四国山地は天界の村の宝庫でもある。


【回想】東祖谷山村落合(徳島県)


【回想】椿山(高知県)

 

【回想】
本島笠島(香川県)

【回想】吉良川(高知県)

【回想】宇和(愛媛県)
 内子インターで降り、重伝建地区には寄らず大瀬へ向かう。大瀬は、バイブルの一つ「日本の町並みⅡ」で紹介されている町並み。いままで歴史的町並みとしてはピックアップされていなかった大瀬だが、この本で取り上げられた。「日本の町並み」では、しばしば古くもない町並みが取り上げられている場合があり紛らわしいが、別に「日本の古い町並み」というタイトルではないので嘘ではない。私のサイトも「古い町並み」に限っているわけではないので、この本と趣旨が重なっている。したがって、取り上げられている限りは行かねばなるまい。大瀬は、山中の街村で歴史様式を下地に綺麗に整備されたいい町並みであった。これからの時代、古い建物を正確に維持継承していくことも大切だが、このような新しい町並みを創造していくことも重要なことだと思う。


 

大瀬の町並み

大瀬の町並み
 内子インターに戻って東へ100km移動。最後は愛媛県東部の新居浜である。新居浜は、別子銅山で栄えた住友創生の街であり、企業城下町でもある。この町は、2009年5月に訪れ、現在の住友金属の工場前の街を取材していた。その時には住友倶楽部の撮影も行っており、何とか企業城下町の要素を網羅したと安心していた。しかし、その後、新居浜には戦前に建てられた社宅街がほぼ完ぺきな状態で残っていると聞いて悔しい思いをした。今回の縦走紀行では、どうしてもこのリベンジを果たしたかった。


新居浜 住友別子病院 
病院に企業名が記されているのは企業城下町の証


 新居浜インターを降り、交通量が多くノロノロな流れにのって新居浜市王子町にある住友別所病院に着いた。名前に住友がついている病院は、企業城下町ネタとしては当然の抑えるべき対象。前回なんで気づかなかったのかと自分を責める。ところが、肝心の社宅街はそこにはない。病院の背後の山の裏にあるようだ。
わずかな山道を走って下ると視界が開けた。そこには綺麗に刈り込まれた生垣と黒い瓦屋根が規則正しく並ぶ巨大な社宅街が広がっていた。そして前には工場跡の敷地も、、、なんで前回こんなすごい場所を見逃していたんだろう。住友倶楽部の直ぐ先だったのに。
 私は興奮しながら、でも関係者以外立ち入り禁止なので注意を払いながら山田社宅を歩き回った。わずかに高低差があり、高いところに幹部社宅があった。幹部社宅は洋館風。加古川(兵庫県)のニッケ社宅街や足尾銅山(栃木県)の古河社宅街などと同様だ。街の一番低いところに駅の跡もあった。

 興奮はおさまらないままに、昭和初期に建設された星越地区以前に工場街のあった別子銅山山腹の東平(とうなる)地区に向かった。足谷川に沿って谷を上がっていく。ダム脇のループ橋を過ぎ清滝トンネルを越えると道が分岐、ここからはすれ違いがままならない細い山道を登っていく。そして到着した東平地区は、遠く瀬戸内海から本州も眺められる高所。資料館と煉瓦積みの遺構がある。残念ながら集落は跡形もない。


新居浜 星越鉱選場跡
大正14年に別子銅山の東平から移転した工場跡。

新居浜 星越町山田社宅
昭和4年から建設された巨大な社宅街

東平(とうなる)
大正5年から昭和5年まで稼働していた採鉱本部
 これで念願であった新居浜リベンジは果たせた。そして、時計を見ると17:30。ヤバイ!予定から大幅に遅れている。カーナビで高松空港を検索すると最終便にとても間に合わない時刻が表示される。注意をまた怠ってしまった。私は、急いで山を下り、高速を走り空港へ向かった。クルマを返却し、空港着18:30。どうやって走ったかはここには書けない。

 高松空港にて、ホッとしながら讃岐うどんとビールでプチ打ち上げ。さて、次回は北部九州の回よりハードな強行軍を予定している。高松から入って大阪まで、四国から日本海にわたり三つの島と700kmを走破しなければならない。

高松空港にて
 
第9日   第11日