伊豆なまこまだら紀行
<第5回いらかぐみオフ会>


今年の<いらかぐみオフ会>は、新しいメンバーとして「一路一会」の大泉旅団さんをお迎えして開催された。開催地は、伊豆半島の松崎である。開催地については、私(野村万訪)と大泉旅団さんが新宿で飲んだときに「今度のオフ会は何処がいいでしょうか?伊豆の松崎なんかどうかなぁ」と話題にしたことに端を発し、その後いらかぐみ掲示板でああでもないこうでもないと意見を交わして、結局伊豆の松崎に落ち着いた。いらかぐみのメンバーは、私と大泉さん以外の5人が全て西日本に拠点を構えているため、東日本に向かいたいという気持ちも強かったのであろう。宿はオフ会恒例で、「町並みの中の町並みをつくっている建物に宿泊する」という暗黙の慣わしにしたがって、「山光荘」という海鼠壁の旅館が選ばれた。三光荘は、江戸末期から明治期にかけて芸術的な鏝絵を創作した松崎の左官職人「入江長八」の作品が見られる座敷蔵を持つ宿である。もちろん泊まるのはその座敷蔵「長八の間」である。
西日本組は新幹線を利用してやってくる。伊豆オフ会だというのに関東地方を絡める者、八丈島を絡める者、静岡県内の町並みを絡める者など様々である。今回幹事を務めることとなった私は、マイカーであるエルグランドを出動させ、何人かをエスコートする予定である。
オフ会前々日の木曜日、会社にいた私の携帯電話に西山遊野さんから電話がかかってきた。「野村さん、天候が荒れているために飛行機が八丈島空港に降りれませんでした。明日金曜日、北関東をまわろうと思うんだけど、何処がいいかなぁ。」と。鳥と町並みを求めて離島を攻め続けている西山さんは結構運悪い人で、これで島に渡れなかったのが3度目とか。結城、下館、佐野などの町並み情報をお伝えして健闘をお祈りした。翌日の金曜日も大雨、先行隊のみんなはそれぞれ苦労されていることであろう。

小田原(神奈川県小田原市)
小田原駅前に8:00、Yasukoさんを拾う。今朝合流するのはもう一人、七ちょめさんは国道1号線沿いの小西薬局前で待っていた。Yasukoさんは昨日神奈川県内を歩き今朝横浜からやってきた。七ちょめさんは、昨日静岡県神奈川県を歩いて小田原に宿泊し、早朝に小田原市内を1時間半も歩き回ったという。昨日はお二人とも大雨で大変な1日だったそうだ。そんな会話が車の中で飛び交う。
小田原市内の町並みスポットをクルマで移動しながらつまみ食い。
小田原抹香町(神奈川県小田原市)
日本全国の遊廓を片っ端から歩いておられるYasukoさんがいらっしゃるとなれば、小田原市内の遊廓跡を歩かないわけにはいかない。抹香町はかつての遊郭であり戦後の赤線跡である。現在は町外れの住宅街であるが、整然と区画された町割りや今では場違いな感じで営業を続けている小料理屋やスナックがある。遊廓調、カフェー調の建築がまだ若干残っている。
旧遊廓は一人でサッと歩く分にはいいが、三人がカメラを持って歩き回るのは一寸いただけない。三人ともそのあたりは承知していて、ササッと流して町を離れた。
板橋(神奈川県小田原市)
板橋は旧東海道沿いの町並みで、町並み紹介本にも掲載されているため、二人には是非歩いてもらいたい。ここはクルマが駐車しにくいので、町並みの端で二人を下ろし、もう一方の端にクルマを停めて待つことにした。
板橋の町のちょうど中間辺りに豆腐工房がある。Yasukoさんはこの豆腐工房に魅かれた様子だった。
さて、すでに時間が押している。箱根湯本は通過して先を急ごう。
塔ノ沢(神奈川県箱根町)
箱根湯本を過ぎると谷も国道1号線も狭くなる。「箱根駅伝で見たことある景色や」とか「新婚旅行以来だ」とか言いながら坂を上ってゆく。やがて道路の両側いっぱいいっぱいに旅館が建ち並ぶ塔ノ沢温泉に入る。この町、私は何遍も通っているが、クルマの置き場に困るためいつもやり過ごしてきた。今日はお二人のためにも何とかクルマを停めて歩こう。
古い旅館建築は観光地とはいえ必ずしも流行っている様子ではない。前面の国道1号線は交通量が多く、ひっそりとした温泉地という風情ではない。でも、この交通量が多いことがなんとも絵になっている。それは天下の国道一号線だからであろうか。
宮ノ下(神奈川県箱根町)
塔ノ沢の上は宮ノ下である。宮ノ下は、日本で始めて建てられた外国人専用のホテルである富士屋ホテルのある温泉街。ホテルの前には、外国人観光客を相手にした骨董品や写真館などが町並みをつくっていた。三人は優雅に富士屋ホテルの喫茶室でコーヒーを飲み、館内を見学したあと、町並みを散策する。富士屋ホテルの裏側にも温泉街が続いているが、これが裏腹に寂れている。箱根といえども立地によって流行り廃りがあるのであろう。
三島(静岡県三島市)
箱根町、元箱根は観光目的なら必ずクルマを停めるはずだが、町並みがないので通過する。誰も停めてほしいとは言わない。しかし、十国峠から三島に下る途中で右手に雄大な富士山が見えると、写真を撮りたいので停めてほしいとの声があがった。西日本の方には富士山は見慣れているものではない。
三島では、まず遊郭跡を探すが見つからない。Yasukoさんがちょっぴり不満そう。気を取り直して三島大社の門前町を歩く。これも西日本では珍しい看板建築の町並み。鳥居の前に「名物うなぎ蕎麦」というのぼりがあったので、その蕎麦屋に入った。不思議な組み合わせだが、美味しかった。
西浦古宇(静岡県沼津市)
思いっきり時間が押してしまったので、韮山と修善寺温泉はカットする。伊豆西海岸の漁村集落を目指す。
西浦から戸田まで大瀬崎を回って海岸線を行くか、山越えで行くか迷ったが、山越えの方を選んだ。それが功を奏して、分岐点にあたる西浦古宇集落に海鼠壁民家を発見。集落に入っていくと海鼠壁のみならず伊豆石の民家も見られる。これは良さそうだと、またまた予定にナイがクルマを下りた。民家に使われている石には伊豆まだら石だけではなく、伊豆青石らしきものもあった。伊豆石は江戸東京の建築や石垣にも用いられた材料。さすが石の国である。
戸田(静岡県沼津市)
真城峠を越えて戸田村へ一気に下る。戸田は私が中学校1年生の時に、友達と三人で訪れた村で、初めて歩いた漁村集落である。戸田にいい集落があるという情報はないが、記憶を確かめるために訪れた。
戸田の集落は比較的広く、南方のエリアに古い民家が多く残されていた。石垣を積んだ塀や海鼠壁の民家である。しかし、30年前に泊まった民宿のあった場所が出てこない。諦めてクルマで戸田を去ろうとしたところ、さらに土肥寄りの場所に見覚えのある集落が現れた。しっかり確認できてよかった。

安良里(静岡県西伊豆町)
戸田から恋人岬を横目で見ながら土肥、宇久根を過ぎる。今日最後の町並みは西伊豆町の安良里である。
安良里港は自然の地形を利用した良港で、今ではヨットハーバーとして有名な場所になっている。加山雄三の所有する歌にもなった光進丸もこの港に停泊しているという。町並みは古い民家が続いているようなレベルではないが、海鼠壁の蔵や伊豆石を積んだ壁を持つ民家、古い旅館などが見られる。不思議なのが、ショーウインドウとオーニングをつけた家がやたらに多いところ。
松崎の町に入ったところでバスターミナルに目をやった。そうしたら今まさにバスから降りたばっかりの孫右衛門さんと西山遊野が居るではないか。ジャストタイミングで2人を乗っけて山光荘に18:20に到着した。宿では一風呂浴びて浴衣姿のKさん大泉旅団さんがわれわれを出迎えてくれた。全員、無事集結した。
夕食を済ませた後、長八の間のある座敷蔵の1階の談話室で懇親会。例年23:00頃には眠くなって寝てしまうのだが、今年は違う。居心地の良い蔵の中だからなのか、話題は尽きず、気が付いたら午前1:00を過ぎていた。翌朝、田子に行く人には早起きを約束しておやすみ。3つの部屋に分かれて就寝した。ところが・・・初めて参加した大泉さんはなかなか眠れなかった様子。メンバーのいびきの大合唱が原因か?
田子(静岡県西伊豆町)
田子は昨日時間切れで歩けなかったので、2日目の朝飯前に早起きして歩くことにした。参加者はスケッチのKさん以外の6人である。往復の時間を入れると40分程度しか歩く時間がないので要所を早く見つける必要がある。密集漁村歩きには鉄則がある。中心部(たいてい郵便局などがある)を先に歩いてから周辺部を攻めるのが最も効率的でわかりやすい。しかし、私にはどうしても端から歩いてしまう癖がある。ここ田子でも、みんなを引き連れて端から歩く過ちを犯してしまった。最後に中心部を持ってきてしまったため海鼠壁の家がどんどん出現し始めた頃には予定の時間をオーバーしていた。それほど予想を上回る集落であったのはうれしい誤算だが、Kさんには朝飯を随分と待たせてしまった。
松崎(静岡県松崎町)
山光荘の前で全員の記念撮影。さて、これから松崎の町並みを徘徊する。Kさんは、なまこ壁通りに座りスケッチを開始した。他の6人は町の中をじっくり歩き回る。昨日も多くの海鼠壁を見てきたが、やはり松崎の海鼠壁はしつこさでは群を抜いている。主屋から付属屋まで、ひたすら海鼠壁で覆われている。スケッチをするKさんは「海鼠壁を描くのは手間がかかって大変や」とぼやいていた。
なまこ壁通りのKさんに別れを告げた6人は、幹事車に乗って松崎周辺の海鼠壁の建物の探索に出た。
大沢岩科(静岡県松崎町)
市街地の周辺部には、見ておかなければならない2つの海鼠壁の建築がある。一つは岩科学校、もう一つは大沢温泉ホテルである。岩科学校は明治時代に建てられた小学校で、シンメトリーの和洋折衷様式。長八の仕事も見られる。岩科学校で大泉さんと別れる。
岩科学校のある場所から谷を奥に入っていくと海鼠壁の民家が何軒か残っている。それらを一つづつ巡る。
谷を替え下田へ通じる松崎街道を6kmほど東へ走ったところにある大沢温泉ホテルを見せてもらう。ここは、古いお屋敷を改修してホテルとしたもの。建物や中庭が立派で素晴らしい空間を体験することができた。
下田(静岡県下田市)
婆娑羅峠を越えると東伊豆である。東伊豆の最南端にあるのが下田の町。松崎と並ぶ伊豆半島内の歴史的町並みの見られる町である。
下田市内の町名はいきなり一丁目、二丁目という珍しい地名。古い民家も何処にあるのかはっきりしない。とりあえず製氷工場や雑中家界隈から攻める。このあたりは、歩いたことのある七ちょめさんも私も押さえているエリアだ。そこから何処に町並みが展開しているのだろうか。二手に分かれて南下していくと港の一本裏の通りに比較的古い海鼠壁の民家が残っていることがわかった。こういうことが出来るのも集団探訪のメリットである。
ペリーロードと呼ばれる運河沿いの通りにも古い町並みが続いている。すると、遊廓探訪家?のYasukoさんの眼光が鋭くなった。ここらは、建てものの形態から旧遊廓と思われる。川の両側の町を隈なく探索する。
下田にこれだけの古い町並みが残っているのには驚いた。歩いている途中で古い民家の所在を示した資料を手に入れることが出来たが、あまり観光の目玉にしていない。生きた個人の住宅であるため難しいのであろう。
伊東(静岡県伊東市)
伊豆半島の東海岸を行く国道135号線を北上する。基本的にこの一本しかないので交通量は多く、市街地で流れは滞る。伊豆高原まで来たところで案の定渋滞が始まった。こうなると運転する私の瞼は重くなってくる。どうにも耐えられないので、城ヶ崎海岸を迂回する道幅の細いルートに変更した。
伊東は全国的にも知られた温泉保養都市。東海館という木造3階建の大きな旅館建築が保存されているというので訪れた。古い町並みは他にはないが、銀座通りに昭和レトロの商店街があった。
熱海(静岡県熱海市)
クルマに乗っている私以外の4人のメンバーは、熱海発18:44の新幹線ひかり号で大阪、京都、岡山、広島に帰らなければならない。時計を気にしながら、最後に熱海の別荘街を歩く。
熱海は急斜面が都市化された温泉保養都市であり、別荘やホテルが険しい地形のところにいわば無理やりに建っている。昭和初期に京浜財界人の別荘地として開発されたエリアは、車でアクセスされる時代を甘く見た造成が行われたもので、モダンな別荘建築と屋敷が今でも残っている。海光町はその典型的な街で、石畳の道はとんでもなく急坂で、傍らの石垣はとてつもなく高い。そこをいらかぐみの面々は「すげー!」と叫びながら一周した。
東京に拠点を置く私にとって、伊豆半島は行楽の場として何度も訪れている。中学1年生の時に友達と旅したのも伊豆であったし、もちろん集落町並み探訪としても随分前だが歩いたことがある。今回、久しぶりの伊豆をいらかぐみの面々と歩いてみて、改めて発見したことは、「伊豆って結構集落町並みの宝庫なのかも」ってこと。みんなと真面目に歩いてみて初めて気づいたことである。
町並みWeb集団「いらかぐみ」も5年目を迎える。来年のオフ会は5周年記念。どこでどんなオフ会とあいなりますか。
(野村万訪 記)