東奔西走 2010

2011年、年明けからなんだかんだ忙しくしていて、やっと2010年の東奔西走をアップします。遅れたことごめんなさいね。
訪れた多くが、いままでやり過ごしていたような町並みばかり。訪問した時の記憶も薄れて、ちょいとテンション低いですけど書きます。

2010年前半は、13年住んだ目黒区下目黒から港区港南に引っ越し、腰の落ち着かない不安定な時を過ごしていました。でも、周辺の町を歩いくことですぐにこの運河の町にも馴染むことができました。朝、運河沿いのカフェでモーニングを食べて、いい気分でモノレールに乗って仕事へ出かける。夜は運河に沿て健康ウォーキング。これが日課となりました。
芝浦(東京都港区)
2010年6月

引っ越して近所の散策開始。今までクルマで通りすがりに気になっていた芝浦高浜橋のバラック街に行ってみました。芝浦は大正期の埋立地。戦前か戦後か定かではありませんが、開発進む芝浦にあって、かつての面影をとどめている貴重な集落です。ホルモン焼き屋が集まっていて、建物は運河に張り出している。愉快なのが、下水管が突き刺さっている家。いやいや、下水管のほうが先にあって、建物が増築しながら包んじゃったんでしょう。旧海岸通り高浜橋あたりは、私の好きなスポットになりました。
 
日間賀島(愛知県南知多町)
2010年7月

名古屋から名鉄特急に乗って知多半島の先端河和駅に着きました。ここから船に乗って、伊勢湾に浮かぶ日間賀島に渡ります。とあるテレビ番組で、海鮮料理がうまいと紹介されていていつか行きたいと願っていた。民宿で一風呂浴びて、あぁ夕飯が待ち遠しい!
料理は蛸を中心に、様々な魚介類を素材としたもの。ウワッ!まずゆで蛸が丸ごと一匹出てきた。そして刺身やカニや、、、おいしい。

早朝から島を歩きます。朝の光を浴びながら、島の一方にある集落へ。さっそく民家が見えてきて足が路地を向きます。「漁村はメインストリートから攻めよ」の掟を自ら毎回破っては失敗する万訪ですが、今回もそうなりました。おかげで、地図が頭の中に描けない。非効率に同じところを歩き回って、やっと集落の全体像が把握できた。同僚は道を横切るカニさんを追っかけてる。。。
 
足尾(栃木県日光市)
2010年8月

夏休み。娘の家でひまだぁ。「どっか行こうか?午後から日光へ行こう!」
なんで日光へ来たんかわからんけど、東照宮で拝んで、境内内の茶屋でかき氷。
「そうだ、足尾へ行こう!」
必ず日光の帰りに寄ろうとするけど、その前に日が暮れてしまう町「足尾」。今回は夏で日が長いし適うだろうと。16:30頃ついて、鉱山住宅やら社宅街やら鉱山施設を大急ぎで取材しました。そして日が暮れて、、、おっと取りこぼしが。後で、会社の同僚が足尾に行くというので、取りこぼし写真を撮ってきてもらいました。
 
東急ガード下(東京都品川区)
2010年9月

東急線の高架下には建物がはまっている場所が多くあります。このことは、大岡山の学校に通っているときから気づいていた。大井町線の大井町駅から下神明駅の間は物販店や飲食店がびっしりはまっています。まずはここから手を付けましょう。
しかし、どういうことでこういうことが起きるのでしょうか。建築基準法上どうなっているんでしょうか。
 
合羽橋道具街(東京都台東区)
2010年9月

仕事で近くに来た。合羽橋商店街は飲食店向けの道具街です。中でも食品サンプルは、外国人観光客もお土産に買って帰るというほどの人気品。他にも食器やらサインやら、飲食店を始めようとする人はここに来ればすべてそろいます。
商店街の入口にあたる交差点のビルの屋上にとんでもなく大きなコック像がそびえてる。なんじゃありゃ。
 
大塚坂下(東京都文京区)
2010年10月

戦災のない東京シリーズも対象は山手線内なら重箱の隅、山手線外なら戦前開発の住宅地が対象になってきております。重箱の隅のひとつ、文京区大塚坂下の町を歩きます。

ここは護国寺前の不忍通りを東へ進み、尾根道である春日通りとの交差点の直前、左に首を振るとちらっと見える谷の町です。一見して「あるぞ!」っていう感じ。戦災地図でも焼けていないことを確認しました。

入っていくと通りに沿って出桁系の町家や洋風看板建築があります。これは規定できる。そして、もっとも期待してるのが、丘上の春日通へ駆け上がっている集落。当然坂道はクルマで登れるような代物ではなく、すべて階段なのです。階段だけでもいろいろな形状のものがあるぞ。土地が狭く上下移動するための階段機能と横移動するための通路機能が混ざってしまって扇形のようになっている階段がありました。オモロー!
 
11月、やっとマイカーの改造工事が終了。その模様はこちらで紹介しています。
袖ヶ浦の改造ショップから、試乗を兼ねて房総半島内陸部の町並みを巡りました。
久留里(千葉県君津市)
2010年11月

久留里(くるり)とは変わった地名でしょう。名前の響きとは違って町は至ってまっすぐ。そして蔵造りが多いなぁという印象。大火でもあったかな。それと共同井戸がたくさんある。造り酒屋なんかも古い建物で、水がいいんでしょうな。
 
牛久(千葉県市原市)
2010年11月

久留里から一山超えると牛久。ここも変わった地名だと思うけど、茨城県にも同名の市がありますね。
房総半島内陸部の町ってなんでこうも似ているんでしょう。一直線の街村形態。違いは真ん中に鈎型があるかないかくらい。画像の商店の銅板がとっても綺麗だった。
 
茂原千葉県茂原市)
2010年11月

もう一山超えて九十九里平野の町、茂原へ。茂原といえば数年前の竜巻被害を思い出してしまいます。中心の旧市街はダメージ受けていなかったのかな。古い民家もあったし傷跡らしきものは見受けられませんでした。
 

東金(千葉県東金市)
2010年12月

この町も先に紹介した足尾と一緒で、九十九里方面からの帰りに寄ろうと思っても日が暮れてしまう町。以前の流し調査ではかなり残っていることを確認済でした。
今回初めて歩いてみましたが、第一印象とにかく長い。延々2km以上あるのです。でも、町並みとしてはいいざないですか。出桁造り、蔵造り、看板建築、洋風銀行建築、飲食店街、旅館街などなど、一通りそろっている点でも感心しました。
 
 
2010年年の瀬。ディスニー教信者の娘とディズニーランドへ拝みに行きました。園内は混んでるんで、外から拝もうというのです。歩いて一周。裏側の造りが見えてそれなりに楽しめました。イクスピアリで買い物とディナー。こうして買い物をからめれば親父につき合ってくれるんだということを発見しました。

ということで、
「2011年は良い年になりますように」
ってお願して年を越したんだけどなぁ。