| 明治(明治23年〜大正3年) | |
| 明治43年 1890年 |
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明治23年、丸の内一帯の土地が政府から民間に払い下げられた。購入したのは、三菱の岩崎彌之助で、10万坪を128万円で落札した。兵英街を取り壊した跡の丸の内一帯は、「三菱カ原」と呼ばれた荒野原だったが、三菱はここに日本を代表するビジネス街を計画した。 当時、丸の内という町名は無く、南から有楽町、八重洲、永楽町となっていた。丸の内は外堀で旧市街と分断されており東京駅も無い。交通手段は日比谷通りと旧市街の外堀通りに走っている市電に頼っていた。また、道三堀は埋めたてられ(明治43年)、現在のように丸の内と大手町が地続きになった。 馬場先門から鍛冶橋に至る馬場先通りに沿って最初のオフィス建築や東京市庁舎が建てられた。明治27年から5年ほどで三菱1号館をはじめ4棟の赤レンガオフィス建築が建てられ、「三菱村の四軒長屋」と称された。地区の中心であり鍛冶橋で旧市街と接続できるため、街づくりに着手する場所として馬場先通りが選ばれたのかもしれない。 馬場先通り両側には次々に英国風オフィスビルが建てられやがて「一丁倫敦」と呼ばれるようになる。馬場先通りの町並みが完成すると、次ぎは仲通りや大名小路、日比谷通りなど南北の通りに沿ってオフィスが建設されていった。 |
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