にっぽん集落町並み縦走紀行 
  
第29日 郡山(福島県)~仙台(宮城県)
     仙台  壱弐参横丁


仙台 南材木町(宮城県)

 縦走紀行第28を終えた連休の翌週末、立て続けに旅は続く。朝一番の東北新幹線やまびこ51号は7:24に郡山駅を発車し第29日が始まった。8:00に仙台着。今日は一日、仙台の旧市街域を歩く予定である。仙台は市街地の殆どが戦災にあっているので古い町並みは無いものと町歩きを後回しにしてきた。しかし、再開発も進んでおりここでしっかり歩いておかねばならぬ。「戦災のない町」と「戦災復興の町」を発見することを目的にすれば俄然歩き甲斐がある町なのだ。上の画像は仙台市内の戦災地図。仙台市街を南から北へ抜ける赤いラインが旧奥州街道、オレンジの範囲が戦災エリアである。この地図からははみ出している南の非戦災地区から始め、旧奥州街道に沿って北へ向かい、できれば北の非戦災地区まで歩きたい。

 地下鉄南北線仙台駅の改札で友人と落ち合う。友人は仙台市内にキャンパスを構える東北大出身で若い頃この町で過ごしたから町には詳しい。南北線に乗って南へ2駅目にある河原町で下車する。そこは奥州街道を岩沼からやってきて広瀬川を渡り「ここからが仙台」という場所にあたる南材木町。国道4号線から旧道が分かれるとすぐ左手に白壁の町家が残っている。そしてさらに旧街道を挟むように2棟の白壁町家が向かい合っている。他の町であればなんてことない町並みだが、戦災と戦後2度の大地震を経験している町としては、3棟の戦前の町家が残っているだけで価値がある。事実、2011.3.11の東日本大震災前まではもう少し残っていたそうだが、震災を受けて激減したという。残り少ない町家をじっくり観察していたら、そのうちの一軒で一際立派なお屋敷に住まわれている方が出てきて声かけてくれた。そして、幸運な事に家の内部を見せていただくことができた。市内に残る最古参の町家のようで、江戸時から大正期にかけて段階的に増築したようで、時代ごとの違いが現れていてとても興味深いものであった。しかし、3.11の傷跡は多く修復もできず維持に苦労されているとのことであった。
 旧奥州街道がを北上していくと穀町に鉤曲がりがあった。そこにも外装こそ新しい材料で包まれているが、古い町家の建物が見られた。北へ上がり直角に西に折れると町。左手に造り酒屋の建物が残っているものの、震災時の瓦が落ちたままになっている。瓦屋根の復旧は職人が足りずどこでも苦労しているようだ。後ろ側は大丈夫だった。

穀町の旧奥州街道鉤型

 
 

仙台 南材木町の町並み(宮城県)

仙台 南材木町の町並み(宮城県)

仙台 南材木町の町家(宮城県)

仙台 荒町の町家(宮城県)
 しばらく歩き広い国道4号戦を越す。ここで旧奥州街道を離れて東北学院大学のキャンパスへ立ち寄る。キリスト教系のこの大学は、教会や校舎の外装が凝灰岩でできている。再び旧街道に戻り非戦災地区を北へ歩いていくと拡幅された道路が見えてきた。あそこからが戦災復興の都市計画による町だ。その境目手前に何と古い町家と銭湯建築が並んでいるではないか。東北大学キャンパスは爆撃されなかったようだが、そこに隣接していたために五橋地区は戦災から免れたのであろう。こうやって丹念に歩いてはじめて見つかる町並みといえる。
 旧奥州街道が拡幅され始めたところから西方向へ歩むと東北大学片平キャンパス。構内では次々と建て替えが進んでいるようだが、1904年に仙台医学専門学校の講義室として建てられた木造の階段教室や1924年に東北帝国大学附属図書館本館として建設された東北大学史料館、その他古いタイル張りの校舎もあった。そして、屋根をスレートで葺いた平屋建ての建物も残っていた。わが国の明治期以降の近代洋風建築に使用されたスレートは、宮城県雄勝町で産する雄勝石が多い。最近、復原工事を終えた東京中央停車場丸の内駅舎や丸の内の三菱一号館もそうだったし、日本で最近まで採掘していた丁場もあった。しかし、3.11の大津波で被災し採掘が続けられなくなってしまった。東京駅の復原では、津波で散乱したスレートが集められ中央の屋根に使用されたという。

 旧奥州街道は、ここから戦災復興都市計画の町の中、繁華街で知られる国分町通りと重なってなってまっすぐ北を目指す。われわれはいったん旧奥州街道を離れ、タクシーで山形へ通じる作並街道沿いの非戦災地区へワープしたが、ここには何も残ってはいなかった。東北大学のもうひとつ川内キャンパスに行く。ここは戦後片平キャンパスから移って整備されたキャンパスだから戦前の建物はない。旧青葉城の中に位置しているようで、公園と大学の境目がなく緑豊かで広々している。青葉城大手門隅櫓下の坂道を下り広瀬川を渡って、再び仙台の中心市街に戻る。大町にある復興記念館で展示資料を閲覧した後、旧城下町時代の大手筋を東へ歩く。この辺りは戦災地区の真っ只中だが、不燃建築ゆえに残った貴重な建物があった。旧大日本火災海上仙台支店は、現在「西欧館」という名前で店舗活用されている。


仙台 戦災地区の中で免れた旧大日本火災海上仙台支店

仙台 東北学院大学(宮城県)

仙台 東北大学片平キャンパス(宮城県)

仙台 東北大学片平キャンパス(宮城県)

仙台 五橋2丁目の町並み(宮城県)

 戦災にあったエリアには、純度の高い戦後の町並みが見られる。いわゆるモルタル系看板建築もそうだが、終戦直後に造られた闇市の名残であるバラック街は再開発により姿を消しつつあるが、全国随所にまだまだ見られる。仙台にも芭蕉の辻という商業地域の中心部に近い場所に壱弐参(イロハ)横丁というバラック街がある。戦後の混乱期、仙台で最初に復興したのが中央公設市場であり、現在の壱弐参横丁の原型となった。中には二本の通路があり、青葉通り側の通路を「青葉小路」といい衣料品や雑貨などの物販店が、南町通り側の通路は「松竹通り」といい食料品店や飲食店が軒を連ねていた。現在の壱弐参横丁では店舗の入れ階が進んだため、上記の区分けは崩れている。

仙台 壱弐参(イロハ)横丁

 日が暮れた。今日はよく歩いた。脚はパンパンに張っている。歩けないので、旧奥州街道北部はあきらめてホテルへ向かう。一休みした後、仙台名物である牛タンを食べに仙台一の繁華街国分町へ出かけた。でも、お酒を飲んだら間隔が麻痺したのか筋肉痛が和らぎ、店を出ると旧奥州街道である国分町通りを北へ向かって歩き始めた。歓楽街は次第に普通の商店街に変わり店の数もだんだん減って行く。そして戦災地区のエッジを過ぎると、沿道に戦災に免れた店蔵が現れた。近くに古い木造の家屋をもつ大きな屋敷も発見。やはり残っているものだ。ついに仙台の旧市街を南端から北端まで歩き切った。これで「戦災のない仙台」として南北軸を押さえたことになる。

仙台 通町界隈の町並み(画像友人提供)


仙台 壱弐参(イロハ)横丁(宮城県)

仙台 壱弐参(イロハ)横丁(宮城県)

仙台 通町界隈の町並み(宮城県:画像友人提供)

仙台 北仙台駅((宮城県:画像友人提供)
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