壱弐参
横丁
終戦後混乱期に創られた仙台中心部のバラック街

宮城県
青葉区
一番町2





交通

JR東北本線仙台駅下車






壱弐参横丁





2012.10.22


東北地方の政治・経済・文化の中心都市である仙台は、1945年7月10日、1万1千余の焼夷弾と8発の高性能爆弾による爆撃を受け、焦土と化した。当時、仙台駅を下りると大学病院が見えるような状態だったという。終戦直後、あちこちで露天商が開かれていたが、それらを集め市場をつくろうという動きにより、昭和21年8月に「中央公設市場」が誕生した。中央公設市場の設立に当たっては、戦前の借地地権者、戦地からの引揚者、空襲で焼け出された人々が優先的に入居した。戦後、仙台市の人口は急激に増加し、市場の周りには映画館や劇場などが建設され、日常の買い物から娯楽までがそろう街としてたくさんの人々が集まるようになった。戦後の混乱期、仙台で最初に復興したのが中央公設市場であり、現在の壱弐参横丁の原型である。
中央公設市場が誕生したころ、一番町通りと南光院通りを結ぶ二本の通路に名前がついた。青葉通り側の通路を「青葉小路」といい衣料品や雑貨などの物販店が並んでいた。南町通り側の通路は「松竹通り」といい、食料品店や飲食店が軒を連ねていた。現在の壱弐参横丁では店舗の入れ階が進んだため、上記の区分けは崩れている。

一番町通り(サンモールアーケード)側の入り口(上)

南光院通り側の入り口(左上)
お店は日本の通りに面して短冊状に区画配置されている。
かつては飲食店と物販店が二本の通りで住み分けられていたが、現在は混在している。
共同のトイレや井戸がある

戦後混乱期のバラック街は、終戦後を今に伝える歴史的遺構だ。 
参考資料 リンク
仙台市

参考文献