周防長門紀行
 

筑前紀行から

昨夜は小倉のビジネスホテルに宿泊した。今日は関門海峡を渡って山口県を歩く予定である。その前に早朝から遊郭調査で小倉旭町ソープ街(赤線跡)を車で流してみる。東京吉原のように朝から営業している店は無いので堂々と歩けそうだが、目ぼしい町並みは見られないので先を急ぐことにした(小倉旭町はリストから削除)。昨日夕方に歩いた門司港の町を通過し関門トンネルをくぐる。トンネルを出ればすぐに下関の市街と思ったらそうではなく、ここから西へひと丘越えなければならなかった。
下関新地(山口県下関市)
関門トンネルを出て「下関市街」の表示にしたがって車を走らせる。下関は本州の西端。山陽と山陰が近づき最後に大きな岬のようになっていて、市街地は岬状の丘の上とその周りの平地からなっている。右手に丘を見ながらひたすらその丘の裾をU字形になめて走る。唐戸、下関駅周辺の豊前田町、新地と下関の商業町が続く。その最後の新地に港町下関の遊郭跡の一つがあり古い面影を残していた。
山裾や川跡など、地形に従って形成された遊郭路を歩くと次々に魅かれるシークエンスが展開する。下関新地は門司錦町とともに港町のかつての賑わいを想像させてくれる魅力的な空間であった。
下関唐戸(山口県下関市)
U字状の下関の町を東へ戻る。唐戸地区は市役所がある下関の古い中心地であり、九州門司へ渡る連絡船の波止場がある町であり、旧山陽道の始点(正確には赤間関)でもある。過去に訪れたことがあったが、その時は天気が悪かったので今回再度歩いてみた。連絡船波止場近くの旧秋田商会ビルや南部町郵便局はすっかり外装が補修されてきれいになっていたが、旧秋田商会ビルの上に異常なほど茂っていた屋上緑化はおとなしくなってしまった。
町中を歩いてみると塔の屋根が丸いモダンな建築があり、その建物が大正時代のものと聞いてビックリ。当時現れた分離派建築で、逓信省山田守の設計だそうだ。他に細かい彫刻がなされた御影石で覆われた銀行建築などもあり、唐戸の町は近代建築を巡る楽しさがある。
富海(山口県防府市)
下関から高速道路に乗って、まずは今回訪れる最も東の町並み、富海へ向う。富海から徐々に西へ戻ってくる作戦である。
旧山陽道富海宿の町並みは、一軒一軒の間口が狭いせせこましいものでなく、道幅の広いゆったりした宿場町の印象だ。町の裏手には旧海岸線だった路地があって石垣が残っていた。と、そこまで歩いたところで大雨が降り出した。今日の天候はかなり不安定のようである。
中関(山口県防府市)
2年前に山口県徳山市の東にある上関を歩いた。そして今朝、下関を歩いた。となれば、もう一つの中関を歩かないわけにはいかない。
中関は瀬戸内に面する塩田の中の古い港町。しかし、現在は塩田が工場に変わり、工場地帯の中に取り残されたように存在していた。最初何処に古い町並みがあるか分からなかったが、埋め立てによって細く残された運河のような海に面して漁船が停められていて、そのあたりに港町時代に繁栄したと思われる大きな家の屋敷が数軒並んでいた。
さて歩こうと車を出た瞬間、「パ〜ラパラパラッ」っと雨の落ちてくる間隔に加速度がついてきた。「これは来るぞ!」と予感し車の中に戻った瞬間「ドッシャー」とバケツをひっくり返したような降り方に・・・。それから30分車から出られず。雨が小ぶりになってようやく再開した。町の規模は下関や上関とは比較にならないほど小さかった。
刈屋(山口県小野田市)
宇部市周辺の周防灘沿岸は日本でも有数の工業地帯。企業城下町である宇部や小野田の町も興味あるところだが今回はパスして通過。小野田港に面する斜面に家屋が密集した2つの漁村を歩いた。
刈屋集落では全体をつかむため、まず港の突堤から集落を眺め歩く順序をイメージする。それをしてから集落内の路地に入っていかないと重要な場所を見落とすことになるからだ。密集型漁村探索の鉄則といえよう。刈屋集落の斜度はさほどきついものではないので、余裕のある路地空間を確保しながら家々が密集している状況だった。印象深いのは石垣や煉瓦の壁に挟まれた路地が続くところ、海の対岸に大きな発電所を臨むところである。

木戸(山口県小野田市)
刈屋集落の等高線方向の通りをずっと北西へ進んでいくと集落の端部の神社に至る。この神社を越しても通りは続くがその先は木戸集落となる。
木戸集落も刈屋同様の斜面上だが構成はいたって単純だ。丘の上の通りと丘の下の通りが2本平行に走っていて、梯子状に縦道が所々を結んでいる。丘の上の通りをさらに北東へ進んでいくと途中に空間がパッと開け、石畳が敷き詰められた広場のような場所に出た。そこには中心に立派な井戸があって、集落全体で利用されていた共同井戸のようであった。
船木(山口県宇部市)
刈屋・木戸を後に内陸部の旧山陽道を目指す。旧船木宿はかつてこの地域の中心だったそうだが、歩いてみるとその地位を失ってから久しいようだ。山陽本線は小郡から真っ直ぐ西へ進めば船木を通ったものを旧山陽道から大きく離れて小野田を通った。そして厚狭で再び旧山陽道と交わるのである。どうして船木をあえて通らないように迂回したのか。鉄道が迂回して廃れた町はたくさんあるが、その多くには事情がある。船木の事情は分からない。
おかげで商店街のようにはなっていないので、静かな旧宿場町という風情を感じられる。気になるのが瓦屋根で、所々に赤瓦が使われている。
厚狭(山口県赤磐市)
地域の中心地の座を船木から奪ったのが厚狭の町である。新幹線も停まる厚狭であるが、町並みには新しい部分が少ない。町の中ほどに厚狭川が横切っていてそこから東が旧宿場町である。厚狭川は地元では鴨川と呼ばれているらしく風光明媚な川の景だ。、架かる鴨橋は味わいのあるデザインのコンクリート橋。橋の上から眺める町並み景観は「旧山陽道を代表する1ショット」と言いたくなるほど決まっている。
吉田(山口県下関市)
旧山陽道をさらに西へ進む。旧吉田宿は鉄道はおろか国道2号線からも離れてしまった宿場町である。船木や厚狭でちょろちょろと現れ始めていた赤瓦だが。ここ吉田では赤い屋根の割合が急に高くなった。
いわゆる短冊状の宿場町の地形が残っている町並みで、直線的だが東寄りが僅かにカーブしている。このカーブが町並み景観に奥行きを与えている。カーブの外周中央に看板建築が建っていてなぜか眼を引いた。
長府(山口県下関市)
長府は以前訪れたことがあるが、ちゃんと歩いていなかったので再訪だ。周防長門紀行は下関市に始まって下関市で終わる。
武家屋敷町といえば石垣や土塀が連ねる町並みが定番であるが、長門の古江小路もそうである。しかし、ここの土塀は石垣の上に築かれていて一際高い。しかも敷地がでかい。つまり、それだけ立派なお屋敷で並んでいるということで、長州藩の支藩長府藩の格と歴史の重みを感じる。一方、旧山陽道の町並みは悲しいことに道路拡幅のために根こそぎなくなっていた。両方そろっていれば貴重な歴史都市であっただろうに、残念である。
梅雨の時期、多少降られながらも天候には恵まれた福岡県北部から山口県西南部にかけての旅だった。町並みにちょっと詳しい人でもあまり聞いたことがない町ばかりの地味な旅であったが、自分の意識の空白地帯を埋めることができた。門司港と長門を除いて観光客に全く媚を売ってない自然な集落町並みに出会えたという点でも大変有意義なものだった。費用を極力抑えるため福岡空港発着のビジネスツアーを利用したが、山口県から東京に帰ろうというのにわざわざ福岡県に向って車を走らせるのもなんだか不思議。東京に戻った2日後、京都出張で今度は新幹線で西に向っているのだからさらに変な気分になってしまった。