長府 石垣土塀が美しく連なる旧城下町の武家屋敷小路

山口県
下関市
長府惣社町
長府古江小路町
長府宮の内町
長府金屋町





交通

JR山陽本線下関駅下車バス





長府





2005.06.26
長府とはその名のごとく「長門国府」に由来する地名で、13世紀後半には長門探題が置かれ、山陽佐人全域を治める政治の中心であった。近世初めに長州藩(萩)の支藩として毛利秀元が入部し、長府に城下町を開いた。長府藩は西回り航路の中継基地として赤間関を擁していた。そして幕末、長府は萩と共に明治維新への重要な舞台となった場所でもある。
長府の現市街地の西部には多くの社寺等の史跡があり、旧城下町の武家屋敷町の土塀や門が並ぶ景観が見られる。最もよく残っているのは、忌宮神社の南側、南北に走る旧山陽道から西の山へ一直線に伸びる古江小路で、両側に石垣と土塀がきれいに連なり、各屋敷の入口ごとに引きが取られ大きな長屋門が構えている。その古江小路の西の突き当たりには高い石垣と白い塀を上げた旧毛利邸がある。また、忌宮神社の西側、東側にも旧武家屋敷の面影を残した空間は続いている。
一方、旧山陽道は商店街になっていたり道路の拡幅が進み古い町並みは見られない。しかし、「金屋の町並み」と銘打って伝統的な町家のイメージを継承した新しい住宅が、拡幅された通りに並んだ新しい町並みを整備している。その東に拡幅を待っている旧山陽道沿いの町並みがちょこっとだけ残っていた。
忌宮神社の北側、乃木神社前の通り空間。この辺りから南に旧武家屋敷町の土塀の連続が始まる。
忌宮神社の西側南北の通り。右手に横枕小路の入り口。
横枕小路の西方向を見る。
横枕小路の西入り口角の屋敷。
長府毛利邸前の切りとおしへ続く通り。
長府毛利邸前の切りとおし。

最も武家屋敷町の美しい景観が見られる古江小路。引きがある大きな長屋門は「菅家長屋門」。古江小路は東へ坂を下ると建替えの進んだ住宅地になってくるが通り景観は違和感無く整備されている。
旧山陽道の商店街「乃木さん通り」
旧山陽道の金屋町は道路拡幅で古い町並みが残っていないが、「金屋の町並み」として伝統的町家のイメージを継承した景観整備がなされていた。
金屋町の東端の一角に残る旧町並み。右手手前の家は側面があらわになっているが、ここまで道路拡幅が延びているということ。対面の拡幅小路は終わっているので、今度訪れたときは間違いなくなくなっているであろう。
参考資料 リンク
下関市

参考文献
『図説 日本の町並み9 山陰編』 太田博太郎他 第一法規
『歴史の町並み 中国・四国・九州・沖縄編』 保存修景計画研究会 NHKブックス
『日本の町並みU 中国四国九州・沖縄』 西村幸夫監修 平凡社