内藤町・雑司が谷・鳩ヶ谷(2004.09.04-05)
 

いままで、カメラはニコンクールピクス5000を愛用して町並みを撮ってきたが、とうとう衝動的に一眼レフデジカメのニコンD70を買ってしまった。ネットショッピングとは恐ろしいもので、クリックすれば簡単に買えてしまう。
そのD70の筆卸として新宿近くの内藤町を、さらに翌日は豊島区の雑司が谷の住宅地、埼玉県鳩ヶ谷市の旧宿場町を歩いた。
内藤町(東京都新宿区)
子供の買い物に付き合わされて、人ごみが多く私の一番嫌いな町新宿に出かけた。その帰りにせっかくだからと、新宿御苑の東側にある内藤町を歩いた。新宿御苑の緑を借景として取り込んだ庭付きの大きな家は殆どが新宿御苑側に残っている。外苑西通りと御苑との間にこんなお屋敷街があったとは驚きである。
雑司が谷(東京都豊島区)
護国寺から目白にかけての台地上は戦災から免れた住宅地。明治以降、農村が次々と宅地化され、畑の畦道がそのまま道路となったため何しろ複雑である。歩き回るが表通と裏通の区別がつかない。高い木のある場所が古い屋敷なのでそれを目印に歩いているうちに町の構造がだんだんわかってきた。中心部には新興住宅地の住人相手に建てられた教会敷地があり、宣教師の旧宅だった洋風建築が区の文化財として残っていた。しとしとと降る雨が、しっとりとした雑司が谷の風情を良い感じに演出してくれた。
鳩ヶ谷(埼玉県鳩ヶ谷市)
雑司が谷から鬼子母神まで歩き、都電荒川線三ノ輪行きに乗る。王子でくたびれた家族と分かれて新しい地下鉄南北線で北上する。途中、志茂駅で降りて街を歩くが収穫なし。さらに荒川を渡って埼玉高速鉄道に乗り入れ、鳩ヶ谷で下車した。

かつて日光御成街道で栄えた鳩ヶ谷宿は、鉄道が西の川口〜浦和を通ったためその後廃れてしまう。しかるに古い町並みは残ったわけだが、最近この地下鉄が開通し、さぞ変わりつつあるのでは無いかと心配していた。地下鉄駅はその心配していた町のある旧街道の下にあると思っていたが、駅は街とはずいぶん離れた国道122号線バイパスにあった。周りには街らしきものは全く無い。駅から旧市街へは徒歩10分近くかかった。
テクテク歩いて旧街道に辿りつく。商店街を北に進み坂を上っていくと町並みが現れてきた。早速、妙な近代建築が出迎えてくれる。古い町並みは丘の上に、出桁造りの町家や蔵という江戸東京近郊ならではのスタイル。所々に近代建築が混ざり、なかなか楽しい町並みであった。地下鉄駅が遠ざかったことは商店街としてはさびしいが、町並みが残ることは保証された。