日本工業倶楽部会館・三菱信託銀行本店ビル

<日本工業倶楽部会館の保存再生>
 

1. 丸の内の歴史的建築物
東京丸の内は、明治27年、最初に煉瓦造の三菱一号館が建設されて以来、100年以上の歴史を持つ日本を代表するビジネスセンターとして発展してきた。その発展過程の中では、関東大震災や太平洋戦争、高度成長期などの体験もさることながら、ビジネススタイルの変化などによって常に機能更新が図られ、現在の町の姿となっている。

歴史的建築物としては、明治期のものは存在しておらず、大正期、昭和初期のものが残っている。長期にわたって繁栄し続けている町であるが故、様々な時代の建物が共存している。それが丸の内の町並みの特徴でもある。

丸の内は100年の歴史をもつビジネス街
2. 機能更新と保存の問題
丸の内の東京駅前に日本工業倶楽部会館(以下、会館)という大正期の倶楽部建築(登録有形文化財)がある。竣工より約80年を経た会館は、隣接敷地との一体開発の中で、要求される機能更新を果たしながら保存再生が図られることとなった。
丸の内に活動拠点を置く三菱地所設計(前:三菱地所設計監理部門)は、会館の保存再生を含む開発計画の立案と、この歴史的建築物と共生する新ビルの設計、ならびに建物の歴史調査を行った。当会館の保存再生においては、歴史的価値と構造上の安全性の確保、事業性の成立といった方向の異なる3つのベクトルをいかにバランスさせて計画を成立させるかが最大の課題であった。ここでは、保存再生の経緯と技術概要について紹介する。

東京駅前から見た和田倉通り(大正9年)
3. 日本工業倶楽部会館
日本工業倶楽部は、大正6年に当時の実業家329名が集い、相互の懇親と発展のために設立された。そして、大正9年11月に会員の交流施設として、日本工業倶楽部会館が竣工した。敷地は丸の内の東京駅駅前広場に面した角地が選ばれた。建物は鉄筋コンクリート造5階建で、一部に鉄骨が用いられた。設計者は横川工務所の横河民輔、担当は松井貴太郎、内装を橘教順、鷲巣昌が行い、施工は施主直営であった。

建物は正面側を倶楽部施設とし後ろ側に貸事務所を併設していた。外観は「近世復興式」と呼ばれ、正面玄関に古典様式を用いているほか、全体的には幾何学的構成によるゼツェッシオン様式で簡素にまとめられており、大正期の時代性が強く反映されている。
一方、内装は倶楽部建築らしく華やかであり、各階の中心にある広間とそれらを立体的な一つの空間として繋げる大階段、談話室や貴賓室、そしてなによりも大会堂、大食堂といった大空間に見事な装飾と空間性を見ることができる。

こうして会館は大正9年に華々しくオープンしたが、そのわずか3年後の大正12年に関東大震災に襲われた。震災予防調査会の記録から、外壁にひびが入り、東南角の3本のRC柱1階部分が挫屈し、3階の大食堂と広間の間の床に大亀裂が走るなどの被害を受けたことがわかっている。設計者は中庭を囲むコの字型の平面が原因と考え、その後の補強工事(震害補修工事)では構造上安定したロの字型平面にすべく、後ろ側に6階建ての別館が増築された。また、挫屈した柱には新設の鉄筋コンクリートを巻き、耐震壁の増設を行うなど、随所の躯体に補強が施された。
躯体補強に際しては当然、仕上げ材を取り外さなければならないが、補強工事後の内装はオリジナルの意匠を踏襲するものであり、太くなった柱や厚さの増した壁に対して意匠が変わることなく仕上げ材がうまく調整されている。
以後、戦時中に金属供出が行われ木製となってしまった大階段の手摺やクーラーの導入などの改修が見られるものの、施設の主要な内外装は今日まで基本的にオリジナルの意匠が尊重されており、歴史性の保持においては非常に質の高い維持管理がなされてきた。


しかし、竣工から約80年近くを経て、施設の構成や機能に対する会員利用者のニーズへの対応に限界が生じ、また老朽化の進行による施設維持管理費の負担も運営上の大きな課題になっていた。さらに、建物の耐震診断を実施した結果、耐震性に問題があることが判明し、抜本的な機能更新が求められた。

平成10年、日本工業倶楽部は三菱地所と共同で隣接敷地との一体開発を発表した。その直後、日本建築学会をはじめとする各種団体、ならびに一般市民より当会館の保存を求める要望が寄せられた。
日本工業倶楽部はこれを受け、会館の歴史的価値を明らかにすること、歴史継承のあり方について都市計画や建築等の多角的視点から検討することを目的に、日本都市計画学会に「日本工業倶楽部会館歴史検討委員会」の設置を依頼した。

日本工業倶楽部会館全景(大正9年)

大会堂(大正9年)

関東大震災時の被災(大正9年)

保存再生された日本工業倶楽部会館(平成15年)
4. 保存手法の検討
歴史検討委員会は、平成10年9月から計4回行われ、議論のテーブルには都市計画、建築史、建築計画、建築構造の各学識者、行政、事業者、設計者らが就き、アドバイサーとして文化庁、オブザーバーらが参加した。検討は、「構造と安全性」、「歴史的価値(外部・内部)」、「事業性と諸制度」、の3つを軸に議論された。

内部空間の重要性や施設側の機能更新の必要性を加味しながら、外観については通りに面したおおむねの外観を残すこと、内部については倶楽部施設が重要としながら玄関ポーチから広間、大階段を経由して談話室、大会堂、大食堂に至るシークエンスを重視した一連の空間を残すことが望ましいとされた。
そして、イメージ継承から全面保存に至るまで、考えられる10通りのモデル案を抽出、そのなかからメリットの少ないもの、問題点の多いものを消去し、前述の残すべき範囲に対して、

1)外観と内部の一部を再現して全体の躯体を更新、
2)建物の3分の1に免震を施して保存し残りを再現して躯体を更新、
3)曳家を伴いながら全面に免震を施し保存、
の3案に絞られた。

日本工業倶楽部はこの提案を受け、工期コスト、事業性、行政支援の可能性等を精査し、最終的に「建物の3分の1を保存し残りは再現(古材活用)して躯体を更新、免震は全面に施す」方法を採用した。

歴史検討委員会では、歴史的価値(保存における真正性、真実性(authenticity))と安全性の確保(構造上の問題解決)をいかにすり合わせるかが最大の論点となった。最終的に選ばれた保存手法は保存と再現の併用となったが、震災で被害の少なかった大会堂・大食堂部分を保存し、被害のあった範囲の躯体を更新するというもので、不同沈下の問題を抱えていた基礎は新築地下構築物とし免震装置で支えるという考え方である。損傷を受けた鉄筋コンクリート造建築の保存はきわめて難しく、特に劣化し亀裂の生じたコンクリートの保存は、劣化を止めることができても亀裂による構造的損傷を補修することはかなり困難である。
今回の場合、外壁、構造躯体等に相当程度の補修・補強が必要であり、外観も内部空間も両方重要であったためどちらかを犠牲にして補強を施すのではなく、再利用可能な仕上げ材をいったん取り外した上で躯体そのものを更新する方法が選択された。その後の調査で、震災で挫屈した柱の曲がった鉄筋や床の大亀裂の残っていたことが確認されている。

今回の保存再現が実現できたのは、所有者である日本工業倶楽部の大変な努力があったからこそだが、民間団体として保存による大幅なコストアップや工期延長によって事業性が成立しないのであれば選択できなかった。それには、文化財行政から登録文化財の再生設計に対する補助金が得られたことに加え、都市計画行政からの支援が無ければ実現できなかった。行政側が積極的に歴史検討委員会に参加し行政支援の必要性を含めて議論がなされ、特定街区制度による歴史的建築物等の保存に対する容積緩和を活用して、保存による事業性のディメリットを補うことができたからである。

設計にあたっては主に次の3点が課題となった。第1は、躯体が更新される範囲での再現方法である。外壁については、石は再利用可能だが、タイルやテラコッタについては薄いものが使われており再利用が困難である。当時のタイルは給水率も高く性能的にも問題があるため、現代の性能を確保しながら同質同形状のものを製作することとした。保存される外壁の長い年月を経た古いタイルと再現される外壁の新しいタイルをどうなじませられるか。現代の技術の腕の見せ所となる。外壁の窓は、アルミサッシュに改変されウインドゥクーラーが取り付いていたが、今回空調設備の導入とともに当初のスチールサッシュの意匠に近い形に復原される。

一方、内部については、壁の木と石、天井の石膏彫刻はできる限り保存採取し再利用する。壁や天井の漆喰や床材は再利用が困難なため新材料で再現することとなる。第2の課題は、現行法規との関係である。当然、大正9年の建物はそのままでは今の建築基準法や消防法に合致しない。重要文化財でないため建築基準法第3条による建築基準法の適用除外には該当しない。現行法規の下で、大階段と広間が一体となった5層吹抜け空間(大階段の踊り場がそのまま広間になっている)をいかにオリジナルの状態で再現できるか。この点については、昨年6月改正の建築基準法施行令にしたがって防災性能評価を行い、大臣認定を受けてクリアすることができた。かつての写真に見られる、2階の談話室から広間、大階段にかけての開放的な空間の復原が実現される。階段の手摺も当初の金属製のものに復原される。

正面外観(竣工後)

免震装置

2階広間からラウンジを見る

2階大会堂

広場から保存された西側外壁を見る

3階大食堂

3階広間
5. 新たな価値の創造
第3の課題は、保存再現される会館とタワーとの調和をいかに保つかである。免震を施した保存部分と再現部分、そしてタワーをいかに整合性のある「一つの建築」として成立させるか、デザイン上の困難性が伴う。われわれは、「時代の対話」をテーマに、新築されるタワーを 個性的な会館の背景として対比調和させることとし、透明感のあるシンプルな形状とした。

また、従来会館の西面ファサードは隣接建物があって通りから見通せなかったが、今度は会館の西側にサンクンガーデンを内包した広場が生まれる。保存された会館のファサードを背景に持った、歴史を味わうことが出来る広場が形成された。

タワーのガラスファサード
6. 保存再生の技術
工事は、次の手順で行われる。

@躯体保存部の外側に仮設の補強を施す。
A躯体更新部の再利用部材を採取し、躯体を調査したのち保存部と切り離して解体する。
B仮受梁に保存部を乗せ在来基礎と分離する。
C免震の振幅を敷地内に納めるため約1.5M曳家する。
D本設梁を施工し免震装置を設置する。E躯体更新部の躯体を施工し保存部と接続する。
F保管している再利用部材を元の場所に取り付け、内外装を仕上る。

また、会館の歴史調査からはいろいろな事実が判明している。特に、採取したデータから震害補修工事の様子を明らかにすることが可能となり、当時の耐震補強や改修の考え方を知ることができ大変興味深い。調査結果については「日本工業倶楽部会館歴史調査報告書」としてまとめられている。

低層部のテラコッタルーバーと倶楽部会館

7. 都市に建つ歴史建築の課題
これから、ますます近代建築の保存再生が増えると思われる。特に都市に建つ近代建築の保存再生には、ソフト・ハードともに様々な問題が取り巻く。日本工業倶楽部会館の場合、結果的にそれらの問題の多くが含まれることとなり、克服しなければならなかった。

今後、この事例が、建築の保存再生を実現させるための制度、手法、技術の確立において有意義に活用されることを願う。

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