鰍沢 富士川水運の河港として発展した町

山梨県
南巨摩郡
鰍沢町
鰍沢





交通

JR身延線鰍沢口駅下車タクシー





鰍沢



2004.11.03
 鰍沢町は甲府盆地の最南端に位置し、この場所で笛吹川、釜無川が合流して日本三大渓流の一つである富士川となる。甲斐の国は山に囲まれた土地柄、甲州街道が通じてはいるものの江戸に行くには笹子峠や和田峠を越えて行かなければならない。今から4百年前、徳川家康の命を受けた京都の角倉了以によって富士川が開削され、鰍沢から駿河の岩淵(静岡県富士川町)まで富士川の舟運ルートが開通した。信州往還と駿州往還の交わる地点に位置していた鰍沢は、この開削により富士川水運の要衝地、鰍沢河岸として流通の拠点として大きく発展した。舟運は物資のみならず中央の文化も伝えてくれる。たとえば、鰍沢ばやしは、京都の祗園ばやしと江戸のはやしが微妙に入り雑じっているという。鰍沢は、山国である甲斐や信濃へ物資や東西の文化をもたらす玄関口の一つであった。しかし、明治44年の中央本線の開通により物資の輸送が鉄道へと移り、繁栄を極めた富士川舟運は3百年の歴史を閉じることとなった。
 鰍沢の町並みは駿州往還(富士川街道)に沿って形成されているが国道52号線が迂回しなかったためか古い町並みはあまり残されていない。度重なる水害も古い建物が生き残るには過酷な場所なのかもしれない。町の下流側の一部に蔵づくりの町並みが残っている。明治以降、部分的に数度の大火に見舞われたようなので、その後の町並みと推測する。特徴は平入りの蔵造りであるが、屋根の妻面がナマコ壁状に装飾されている。これも舟運によって伊豆松崎のナマコ壁が伝わったともいわれている。確かに、甲府盆地の富士川流域(釜無川含む)には、ナマコ壁が見られる場所がある。(たとえば双葉町志田白州町花水など)
町の最も下流側の町並み。漆喰ならずセメントで固められた蔵造り民家。前面は富士川の河川敷。
最も下流の町並み。一軒だけ街道の富士川側に残る民家。水害から逃れた一軒か?。
JR身延線鰍沢口駅方向へ行く富士川橋ととの交差点付近の家。

町並みの中で残る商家の中で最も大きな蔵造り。屋根の妻面のナマコ壁状装飾が鰍沢の特徴。
国道沿いの商店街に建つ商家。古くはなさそうだが蔵造り。
町の中間部ではこのシンプルな蔵造りが多い。屋根妻面にナマコ壁。
国道52号線沿いの鰍沢商店街の町並み。
前面を看板建築状に改造した店蔵。
参考資料 リンク
鰍沢町

参考文献