東浜崎 萩の港町に隣接した旅館建築の残る旧遊里

山口県
萩市
土原三区




交通
JR山陰本線東萩駅下車徒歩






萩浜崎




2015.07.18
阿武川河口部の松本川・橋本川がつくる三角州に萩の市街地は形成されている。関ヶ原の合戦の後、毛利輝元が広島から移り、指月山麓に萩城(別名指月城)を築城し、城下町の整備が始まった。1600年(慶長5年)から200年間防府・長門2国36万石の城下町として繁栄。1863年(文久3年)山口を藩の根拠地と定めたため、地方中心の位置づけではなくなった。
浜崎地区は、萩城下の港町。萩半の領地を治める勘場である「浜崎宰判」が町並みの中央川沿いに置かれ、藩の沿岸部に点在する七つの浦と萩沖の六つの島を治める萩藩の海の一大拠点であった。川沿いには城下町に荷揚げされる物資や近隣の漁村から水揚げされる魚などを扱う港が設けられ、これらを扱う廻船問屋や魚問屋が軒を連ね賑わった。そして、近代になり商船の定期航路が置かれ、萩の物流拠点となる。大正期に鉄道が敷かれ、徐々に機能を失うが、水揚げされる魚を加工した干物や蒲鉾などの水産加工業が発展し、現在に受け継がれている。
そのような浜崎地区の東側、松本川左岸を埋め立てた水路に面する場所に遊郭が形成された。『全国遊郭案内』(昭和5年 日本遊覧社刊)によれば、萩町遊郭は妓楼10軒芸妓40人と記されている。その名残はわずかであるが、大型の旅館建築が伝えている。 
東浜崎の町並み
東浜崎の町並み
東浜崎の町並み
東浜崎の町並み
残る旅館建築の芳和荘
東浜崎の町並み
残る旅館建築の芳和荘
東浜崎の町並み
残る旅館建築の芳和荘
東浜崎の町並み
残る旅館建築の芳和荘
東浜崎の町並み
東浜崎の町並み
参考資料 リンク
萩市

参考文献