酒田中町 大火復興で誕生した独特なアーケード商店街

山形県
酒田市
中町





交通
JR羽越本線酒田駅下車




中町





2019.08.11
山形県北西部、日本海を臨む最上川河口部北岸の町。室町時代から港が開け、1672年(寛文12年)河村瑞賢が貯米場「瑞賢蔵」を建設し、西廻船航路の寄港地となる。最上川舟運により酒田は米の一大集散地となり、日本海沿岸有数の港町として栄えた。明治に入ると庄内平野の米作地帯をひかえて米穀取引が盛んとなり、1893年(明治26年)に山居倉庫が建てられた。
1976年(昭和51年)10/29夕刻、酒田市中町2丁目にあった映画館から出火した火災は西方からの強風にあおられ東方の町へ燃え広がった。延焼は東の新井田川まで達したが、対岸からの直上放水と雨により翌朝鎮火した。延焼したエリアの近在にあって北側の寺町と本間家旧本邸が無事であったことは消防隊の賢明な消火活動により守られたものと思われる。
出火点より東側の繁華街は灰と化したため、復興のまちづくりが開始した。酒田市では、このエリアの商店街の復興を主体に復興対策事務所を開設し、既存の7つの商業組合を、中通り、たくみ通り、大通りの各商店街振興組合に再編して商店街近代化推進協議会をつくり、新しい商店街建設を進めた。中でも中通り商店街は、独特なアーケードが特徴となっている。当時の商店街は、防火建築とアーケード(屋根付き道路)化が流行しており、風雨の激しい酒田でも望まれたが、酒田大火の経験方採用できなかった。変わるものとして、セットバック方式が考えらた。通りに面する店舗が一斉に1階の一部分を引っ込めて建築するもので、2階以上の部分が屋根代わりになってアーケードの役割を果たす方法である。しかし、通り両側全部の商店が足並みをそろえることは簡単ではなかった。結果的に、道路境界線から1階部分を1.5mセットバックし、庇を道路の歩道上部に1.5m出し、合計して3mの屋根付き歩行者空間を確保するという形態となった。そして、外側に2mの緑地帯、次いで5mの車道があるという全国でも例を見ない独特のショッピングモールが誕生した。
昭和51年に発生した酒田大火の出火点(映画館)の辺り

出火点近くの建物。昭和53年竣工とある。
清水屋デパート横の広場。ここから西側は大火を免れているため道路幅が狭い。
中通り商店街の西側の入口。ここからアーケードが始まる。

中通り商店街の町並み
1階部分は道路境界から1.5mセットバック、庇が道路上に1.5m出っ張り、合計して3m幅の屋根付き歩行者空間が形成されている。
中通り商店街の町並み
地形に高低差があるため、アーケードが段々に上がり下がりする。
中通り商店街の町並み
いわゆる長屋形式の防火建築帯ではなく、一軒一軒がルールを守って建て替えているので、建物は各々に独立した形態・デザインとなっている(上)。

中央公園部分は立体公園となっている(左)。
中央公園の立体公園上の御堂
中央公園の立体公園上のモニュメント
参考資料 リンク
酒田市

参考文献
中通り商店街