銀山温泉 | 銀山で栄えた高層木造旅館建築の町並み | |||
山形県 尾花沢市 銀山温泉 |
![]() 銀山川を挟んでたち並ぶ旅館群(神奈川県J52162さん撮影) ![]() 木造5階建ての能登屋旅館。両袖に短冊状の鏝絵がある。(神奈川県J52162さん撮影) ![]() 旅館小関館(神奈川県J52162さん撮影) ![]() 旅館永澤屋平八(神奈川県J52162さん撮影) ![]() 能登屋旅館の左袖戸袋の鏝絵(神奈川県J52162さん撮影) |
銀山は1456年(康正2年)尾花沢の儀賀市郎左衛門により発見され銀の採掘が始まり、江戸時代の1634年(寛永11年)に御公儀山となりピークを迎えた。1703年(元禄15年)頃から採鉱量が減少して温泉は労働者によって利用されており、湯治場として現在に至っている。 山形盆地にある尾花沢の市街から、最上川の支流である丹生川、さらにその支流である銀山川と、南東の山間を入っていくと谷が狭まってくる。やがて車両は通行できなくなり、銀山川の両側に木造の旅館群が見えてくる。銀山川は緩やかにS字を描いており、川の両側の通りを結ぶ橋が小刻みに8箇所かけtられている。 川と山の間の狭い敷地に建てられた旅館は拡大のしようが無く、湯治場として賑わうとともに必然的に高層化した。基本的には木造3階建てであるが、中には能登屋旅館のように中央だけだが5階建てのものもある。 ところ狭しと建て並ぶ旅館建築の見所は、軒を重ねた多層屋根の形態のみならず戸袋などに施された鏝絵の表現である。 能登屋旅館では、入口のまわりの2本の柱頭に洋風オーダーの装飾が見られ、向かって左の戸袋には富士を眺める風景が、右の短冊状の袖壁には主人の名前とそれを取り囲む尾長鳥と桐の葉の装飾が見られる。 これら鏝絵の作者は、鏝絵の中に書かれているサインから大石田の玉舟という左官職人であった。伊豆の長八に弟子入りまでしており、大正末期から昭和初期に大石田・尾花沢・山形を中心に活躍した職人で、能登屋旅館の鏝絵は昭和7年の仕事である。 銀山温泉の旅館は大正時代はまだ平屋建てだったそうだ。大石田出身の銀行頭取であった田中保らの助言により、昭和初期につぎつぎと木造3階〜5階建てへと改築されたという。おそらくこの時期に銀山温泉がブームとなったのであろう。町並みは意外と短時間で造られるものなのではないだろうか。 |
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交通 JR奥羽本線 尾花沢駅下車バス 国道347号線鶴巻 ![]() |
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参考資料 | リンク 尾花沢市商工会 尾花沢市のホームページ 参考文献 「SD 9109 東北ナイススペース」鹿島出版会 |