大崎 四国への船出し港として栄えた町並み

和歌山県
海南市
下津町
大崎





交通






矢櫃





2017.09.10



紀伊半島西岸のリアス式海岸には、急峻な岬がいくつか突き出していて、その先端付近、北岸南岸に密集系集落が見られる。下津湾は長峰山脈が西の紀伊水道に没する典型的なリアス式海岸で、半島南岸に位置する大崎港は、古代より風待ち汐待ちの良港として知られ、四国への船出港として「続日本紀」にも見える。また、江戸期の紀伊国屋文左衛門ミカン積出しの伝説の地でもあり、明治期以後も大阪商品を積んだ紀州航路の船が寄港した。大正13年紀勢本線の開通に伴い下津駅が設けられ、海陸の結節点として発展した。
集落は、海岸線に沿って切妻平入の町家が並んでおり、この地域の漁村とは格の違いを見せている。商店の名前にも「土佐屋」があるなど、かつては四国への船出港であったことを教えてくれる。背後の斜面に集落は広がっていて、大きな屋敷が多い。また、地場で採れる青石による石垣石塀が美しい。港に「かざまちカフェ」という地元の方々が運営している喫茶室がある。
大崎の町並み
大崎の町並み
大崎の町並み
この辺りは、中央構造線に沿った三波川変成岩のひとつである紀州青石のエリア。
大崎の町並み
切妻平入の町家が並ぶ港町の町並み

大崎の町並み
「土佐屋」という屋号が、四国への船出港であったことを物語る。
大崎の町並み

大崎の町並み
大崎の町並み

大崎の町並み かざまちカフェ
参考資料 リンク
海南市


参考文献