東岩瀬 近世から栄えた北前船廻船問屋が建ち並ぶ港町

富山県
富山市
東岩瀬町





交通

JR富山港線東岩瀬駅下車徒歩




東岩瀬




2005.10.10
岩瀬は神通川の河口東岸に位置し、江戸時代から加賀藩の港町として、また北陸街道の宿場町として栄えた。明治6年に大火があり、その後整備された岩瀬大通りに面する廻船問屋群の町並みが現在に残されている。東岩瀬港は現在は伏木富山港で、地域の工業地域の陸揚げ港として機能しており、かつての港町は工業地域の中にある。廻船問屋で財を成した屋敷は間口にゆとりがあり、立派な切妻平入の町家が主に港側(神通川河口)に並んでいる。登り梁、袖卯建、1階庇のムクリなどは富山の町家の特徴が見られる。また間口の広い町家は前面に前庭があり座敷が面している。
岩瀬大通りを南から入っていく。道幅が広いのは明治6年に大火があったため、その後の整備で広がったのだろうか。
岩瀬大通りの西側は神通川の河口の運河に造られた江戸時代からの港。そちら側に大きな廻船問屋が並ぶ。
森家は、四十物屋仙右衛門といい仙¬で表し、通称あいせんと呼ばれ文政頃より北前船で栄えた東岩瀬の廻船問屋の様式を残している屋敷である。
特徴は、当地から積出す船荷にため玄関から裏の船着場まで通り庭が通じ、表から主屋、台所、土蔵が並ぶ。

現在の建物は明治11年に再建されたもので、切妻平入、登り梁で1階庇がこけら葺きでムクリが付いている。富山県内の大商家の形態的特徴が現れている。

森家の内部。主屋のオイには炉が切られ、その部屋は天井まで吹き抜けており、構造梁が井桁に組まれている。富山県の特徴でで「枠の内」と呼ばれている。(左上)

森家の奥の蔵は漆喰装飾が施されている立派なもの(上)。

森家の裏庭は駐車場になってしまっているが、隣の家は大きな庭が残っていた。(左)

東岩瀬の廻船問屋が建ち並ぶ町並み。繁栄の跡が偲ばれる。
修復中の土蔵。表通りから裏の船着場までの長い土蔵が残っていた。
東岩瀬の町並みは、一軒一軒の屋敷が広いため家々は間を取っている。
岩瀬大通りの北の端。大通りはこの場所でさらに広がっている。(上)

料亭旅館があった(左)
参考資料 リンク
富山市

参考文献
『日本の町並みT 近畿・東海・北陸』 西村幸夫監修 平凡社