虎ノ門 都心オフィス街の中に奇跡的に残る戦前建物群

東京都
港区
西新橋1
虎ノ門3
西新橋3
愛宕1




交通
地下鉄日比谷線虎ノ門駅、神谷町駅下車徒歩





三田


虎ノ門3





2009.09.12
現在の虎ノ門・西新橋は、江戸時代は外堀のすぐ南側にあたる武家地だった。虎ノ門という名は、江戸城を守る三十六見附門の一つ虎ノ門がおかれたことからつけられた。明治に入って武家屋敷の跡は業務ビルや商業ビル、住宅の用地になった。
太平洋戦争時の空襲による戦災焼失区域を表示した「コンサイス東京都35区区分地図帳(昭和21年刊)」によれば、こんな都心部でありながら戦災を免れた地区が存在する。一般に非戦災地区は、崖線・寺社境内の緑であったり、川・鉄道・広小路等によって延焼が妨げられた場合が多い。しかし、虎ノ門の場合は、地形は平らで建物が密集していた町であるにも関わらず、焼失区域の中で一部が焼け残ったようになっている。何が防火帯になったのであろうか。オフィスビル群の中に関東大震災後に建てられた看板建築をはじめとする木造家屋が点在して残っている不思議な町である。
西新橋1丁目の町並み
一角だけ見事に戦前の建物が残ってる(上、左)

1923年(大正12年)の蕎麦の虎ノ門砂場(左上)

愛宕1丁目交差点付近の町並み(上)

虎ノ門3丁目の町並み(左)
愛宕山の西側のエリアはおそらく愛宕山が防火帯になったのであろう。


虎ノ門3丁目の町並み(左上)

愛宕1丁目の町並み(上)
愛宕山の北側山下になる

虎ノ門3丁目愛宕山下の町並み(左)
この都心部にこれだけの住宅群が残っているのは戦災からみても開発からみても奇跡である。ただ周辺は空き地が増加しているので取り壊されるのも時間の問題であろう。

虎ノ門3丁目愛宕山下の町並み 

愛宕山トンネル(上)

西新橋3丁目の東京慈恵会医科大学付属病院(左)
参考資料 リンク
港区

参考文献