富沢町
堀留町
戦後埋め立てた川の上に形成されたバラック街

東京都
中央区
日本橋富沢町
日本橋堀留町






交通
JR総武線馬喰町
都営浅草線人形町駅下車徒歩






日本橋富沢町


日本橋堀留町





2015.01.24


日本橋は、日本橋○○町と呼ばれる町名の着くエリアをいい、下町の中でも戦災を受けた範囲と免れた範囲が混在する。地下鉄の駅でいうと人形町駅から堀留町にかけては免れたエリア、浜町から馬喰町にかけては遭っているエリアである。堀留町はその名のごとく、行き止まりになった堀があった町であり、現在堀は埋め立てられている。非戦災地区である割には、人形町界隈で見られる程の戦前の町並みは少ないが、出桁造りの町家や複数の関東大震災後の銅板看板建築を今でも見かける。
一方、富沢町は日本橋と小伝馬町の間にあり、戦災に遭った地区だ。かつては浜町川が南から北へ一直線に堀を割っていたが、戦後瓦礫で埋め立てられた。埋め立てられた後は南の方は公園に、北の方は宅地になった。しかし、その狭間のところにバラック街が形成された。そして、その後増改築を繰り返して、戦後60年を経た特異な町並みとして近代的なビル群の中に存在している。一軒一軒の規模はとても小さく、二階建てから三階建てで互いに壁がくっついている。その長さは200m程で、中でも南のエリアが長い。しかし、瓦礫を埋め立てた上に建っているからであろうか、建物が傾いているものが多く、大きな地震で崩壊する危険性がありそうだ。
富沢町バラック街の最も北側のエリア
2間程の奥行で木造三階建て。飲食店が多い。
富沢町バラック街の最も北側のエリア
富沢町バラック街の最も北側のエリア
後ろ側の空き地から見る。建物がくっついて建てられるから外壁の仕上げを外側からできず内側から施工するためにブロック積になっている。
富沢町は戦災に遭っているが、鉄筋コンクリート造の近代洋風建築が残っている。 
富沢町バラック街の真ん中のエリア
路地側を表とした珍しい看板建築。
富沢町バラック街の真ん中のエリア
富沢町バラック街の真ん中のエリア
富沢町バラック街の南のエリア(上、左)
全体に後ろ側へ大きく傾いている。瓦礫で埋め立てられた地盤のせいなのか。(上)
富沢町バラック街の南のエリア
富沢町バラック街の南のエリア
路地側は物干し台がずらっと並んでいる。路地の反対側が空地になっているので、全景が見渡せて面白い。
富沢町の残る鉄筋コンクリート造の近代洋風建築。昭和初期に建てられた旧川崎貯蓄銀行富沢支店(現ハリオグラスビル)。立派な古典様式で、基壇以外は全て擬石。
非戦災地区堀留町の町並み
非戦災地区堀留町の町並み
参考資料 リンク
中央区

参考文献