玉の井 震災後誕生した大色街 カフェー建築オンパレード

東京都
墨田区
墨田3丁目




交通


東武伊勢崎線東向島駅下車


国道6号線水戸街道





玉の井





2003.10.26
 玉の井は、墨田区北部にあって、墨田川と荒川放水路に挟まれた低地に中小工業や住宅が密集している地域である。地名は明暦年間(1655〜1658年)代官多賀藤十郎が住民からまきあげた金で囲った愛妾の名にちなむといわれている。近世は江戸近郊の行楽地で、近くに向島百花園がある。
 大正12年に発生した関東大震災で、浅草十二階下の銘酒街が被災し、移転先として亀戸天神裏と玉の井の空地が選ばれたのが始まりという。大正13年で260軒、昭和20年で487軒となった。しかし、東京大空襲で全滅、1200人の娼妓が焼け出されたという。終戦後は、いろは通り北側のエリアがカフェー街として再開した。(「赤線跡を歩く」より)
 この街を歩く魅力は、何と言っても一時期のカフェー街に建築された特色ある建物をたくさん観察できる所にある。角地にあるある建物はその立地を意識して、高く構えたり曲面で構えたり、意匠もさまざまなものが見られる。関東大震災直後に造られたとき、区画整理をしないまま農村の畦道の線形を変えずに都市化したため、複雑な街路となっているのも魅力を高めている一要因なのかもしれない。
いろは通り。震災の時に壊滅した浅草十二階下の銘酒屋街が亀戸天神と玉の井に移ったのが始まり。いろは通りの右側が銘酒屋街、左側一帯が指定地だった。
墨田3丁目を東西に横切る通りが戦後玉の井のメインストリート。そこに面して残る個性的なカフェー街建築。
ひっそりとした住宅地に曲面バルコニーの建物が残る。(左上)

上の民家の窓周りのディテール。(上)
玉の井には交差点を意識したつくりの建築が多い。
左がメインストリート。モルタル吹き付けの看板建築だが、1階の窓周りに木の欄干をはめた和洋折衷。
参考資料 リンク
墨田区

参考文献
『赤線跡を歩く』 木村聡 自由国民社