品川 江戸の大動脈東海道で栄えた1番目の宿場町

東京都
品川区
北品川1・2
南品川1〜3
東大井1・2
東品川2




交通

京浜急行電鉄
北品川駅
新馬場駅
青物横丁駅
鮫洲駅
立会川駅
下車









2002.12.01
鎌倉時代は品川氏の所領で、中世の港湾都市品川湊が基盤となって成立した江戸の衛星都市。東海道の第一宿。旧東海道が目黒川と交差するところが品川宿で、川より北側を北品川、南側を南品川と呼んだ。
元文年間(1736-40)には旅篭180軒を数えたという。江戸時代は色町として賑わい、新宿、本宿には遊女「品川女郎」を置く旅篭屋や煮売茶屋が集中していた。明治に入ると工業の町となり、海岸が埋め立てられた。戦後、色町はなくなり地域の商店街となって今に至る。震災戦災を免れているため古い町並みが残っている。

北端に八ツ山があったが今はない(JR線掘り割り)。京急線の踏切から猟師町に渡る旧鳥海橋(旧目黒川で現八ツ山通り)あたりまでが新宿。旧鳥海橋あたりから品川橋までが北品川である。北品川駅から山手通り交差点、旧鳥海橋に折れる道、新馬場駅前通りに看板建築や出桁造りの町家がみられる。旧街道の西側、法善寺から新馬場通りに抜ける路地には法善寺の煉瓦壁が残る。
北品川(旧新宿)にある看板建築「星野金物店」
北品川に残る出桁造りの町家
猟師町に残る銅板壁の看板建築
新馬場通りとの交差店にある洋風の医院
参考資料 リンク


参考文献
『図説 日本の町並み1 北海道・北東北編』 太田博太郎他 第一法規
『歴史の町並み 北海道・東北編』 保存修景計画研究会 NHKブックス
『日本の美術286 民家と町並 東北・北海道』 宮澤智士 至文堂