神田
講武所
神田明神下の市場の旦那衆で賑わった花柳界

東京都
千代田区
外神田2






交通
JR山手線秋葉原駅、お茶の水駅下車徒歩




神田講武所




2008.01.18
 江戸時代、神田には江戸幕府御用達の市場があった。神田明神下には市場の旦那衆が遊んだ花柳界が形成されていた。その起源は、現在の秋葉原駅前付近にあった武術の練習場である「講武所」を運営するために開かれた町屋敷だったと言われる。そのため、ここの花柳界の芸者は「講武所芸者」と呼ばれ、明治期から戦前まで夜の繁栄を見せていた。神田講武所なる花街の範囲は、神田明神下交差点を中心に、外神田2丁目から3丁目にかけてだったというから、現在の神田明神下から秋葉原駅までの一帯にあたる。現在、その面影が一番感じられるのは神田明神のすぐ下のあたりだが、秋葉原電気街の中にもそれらしい建物が点在している。
神田明神
神田明神下の外神田2丁目の町並み

神田明神下の外神田2丁目の町並み

通り過ぎたとき、画像の家から三味線の音が聞こえてきた。(下)
神田明神への階段酒(上)
丘の上にはかつて開華楼という巨大な料亭があった。



昌平橋通りに面する現役の料亭。(左)

講武所界隈の路地(上)

秋葉原駅前の再開発ビル。講武所花街は秋葉原駅周辺まで広がっていた。現在は電気街だが、電気屋の間にかつての建物が残っている。(左)
参考資料 リンク
千代田区

参考文献