亀戸 明治28年に生まれた亀戸天神裏の花柳界

東京都
江東区
亀戸3




交通
JR総武線亀戸駅駅下車徒歩





亀戸3




2008.02.09
 亀戸は、東京江東区北東部にあり機械工業の中小工業が多い商工業地域である。JR総武線亀戸駅を中心にした商店街は、江東区一の繁華街で、隣の錦糸町とともに都内の副都心に位置づけられている。明治通りを北へ500m歩くと蔵前橋通りとの交差点があり、そこを西へ折れてさらに500mほど行くと亀戸天満宮(亀戸天神)がある。亀戸天満宮は九州福岡の太宰府天満宮と同じく菅原道真が祀られた学問の神様。江戸時代、明暦の大火による被害から復興を目指す江戸幕府は、復興事業として本所を街を整備し、四代将軍家綱は鎮守神として祀るよう現在の社地を寄進した。寛文2年(1662年)には、社殿、楼門、回廊、池、太鼓橋など本家太宰府天満宮にならって造営された。
 その亀戸天神に背後一帯には花柳界が広がっていた。生まれたのは明治38年、昭和初期には芸妓置屋89軒、芸妓236人、料亭11軒、待合79軒だったという(「続赤線跡を歩く」より)。
 亀戸神社の北側の東西の通りに面して、旧検番所をはじめ料亭や銭湯までもが残って並んでいる。やがてマンションなどに建て替わっていくのであろうが、戦後も続いていた花街は平成9年に検番所が閉じられたというからまだまだ現役の匂いが残っている。
境内の構成が太宰府天満宮によく似ている」亀戸天神」。
亀戸天神の北側にの残る花柳界の町並み。(左)

検番所は平成10年に閉じられたという。(上)
割烹料亭が現在も営業を続けている。
同上
花街時代の面影を残す建物
通りに面して銭湯がある
三業通りの町並み(左)

亀戸天神と横十間川との間の界隈にもそれらしき建物が残っている。(左下、下)
蔵前橋通りに面している船橋屋。(左)

左下画像はかつてのお店。(左下)

船橋屋のあんみつ豆(下)
参考資料 リンク
江東区

参考文献
『赤線跡を歩く』 木村聡 自由国民社