本所 戦後の看板建築が壁面をそろえる復興の町並み

東京都
墨田区
石原
本所
東駒形
業平





交通
JR総武線両国駅
都営浅草線本所吾妻橋駅






蔵前橋通り


春日通り


浅草通り





2017.02.11
本所とは、隅田川東岸に位置する墨田区南部の地名である。江戸時代は農村であり、明暦の大火(1657年)の後市街地として整備された。1660年(万治3年)に本所築地奉行が設置され、竪川、横川、十間川、南割下水などの堀が造られ、低地を埋め立てて宅地が造成された。1868年(明治元年)東京府に編入され、1878年に本所区、1944年に向島区と合併し、墨田区となった。
本所一帯は、1923年(大正12年)の関東大震災で壊滅的な被害を受け、そのわずか22年後の1945年(昭和20年)第二次世界大戦時の東京大空襲を受け、再び焦土と化した。したがって本所の町は、関東大震災後の復興都市計画によって整理された街区に、戦後の建物が町並みを形成している。もちろん戦後60年を経た今では建替えが進行しているものの、戦後復興の建物は多くが姿を残している。それら町家の形態であるが、木造で外装をセメントの左官で不燃処理したもので、特に震災復興で流行した看板建築の流れを汲む戦後の看板建築が多い。建築が古典様式から装飾を排した近代主義(モダニズム)へと変化するのを受けて、看板建築もモダニズム化している。
横網町公園の東京都慰霊堂
関東大震災の時、この公園に集まった3万8千人の人たちが大火にのまれ犠牲となった。その場所に震災後、慰霊堂(左上)と震災記念館(左下)が建てられた。いずれも設計は伊東忠太。


清澄通り亀沢1の町並み(左上)
蔵前橋通り北側(石原1)の町並み(左下、下)
蔵前橋通りから南に入った石原1の町並み
蔵前橋通り北側(石原1)の町並み
蔵前橋通り南側(石原1)の町並み
蔵前橋通り南側(石原1)の町並み
蔵前橋通り北側(石原2)の町並み
石原1の町並み
徳之山稲荷神社
清澄通り本所1の町並み
春日通り本所1の町並み
本所1の町並み
春日通り荒井湯
春日通り 地域安全センター前交差点
本所1の町並み
本所1の町並み
東駒形1の町並み

浅草通り業平1の町並み 
参考資料 リンク
墨田区

参考文献