田園調布 大正期 田園都市開発された放射環状の住宅地

東京都
大田区
田園調布2,3




交通

東急東横線、目黒線
田園調布駅下車


環状8号線
田園調布





田園調布



2003.11.23
大正期、渋沢栄一がつくった田園都市株式会社は、当時欧米でみられたハワードの田園都市の理念を導入し、東京西南部の東急電鉄沿線を開発した。田園調布は豊かな環境と利便性をあわせもった理想的な住宅地として計画され、大正12年に分譲された。
町は駅を中心とした半円形の放射環状街区である。駅舎はマンサート屋根の洋風建築でロータリーの中心に泉がある。放射方向の通りは豊かな銀杏並木でアイストップに駅舎が見える。一つ一つの宅地面積は大きく、隣棟間隔も広く、通り側は生垣が基本で奥に主屋の屋根が覗いているのが田園調布の町並みである。
しかし、現在では東京を代表する高級住宅地。大きな敷地を持続して所有するのは、相続税の問題もあり大変である。したがって、住人の入れ替わりや宅地の細分化が進んでいる。有名人の住宅が多く、セキュリティからか頑丈な塀がめぐらされるケースが多い。かつての「生垣の奥に屋根が見える」風景は減少している。
なお、東急田園都市線は地中化されたため、旧駅舎は駅舎としての機能は無く、町のシンボルとして現位置に保存されている。また、駅の東側は住宅地を控えた商店街であり対照的な町並みが味わえる。
放射の通りは駅に向かって下っている。どの通りからも銀杏のトンネルの中に赤と白の駅舎が見える。
駅から見て右45度の放射の通りに残っていた洋風住宅。建て替わった家が多い中、敷地、主屋とも変わらぬ状態なのはすごい。
環状の通り。中心から外へいくに従って円弧の曲率は緩やかになる。画像の通りは3、4本目なのでかなり緩やか。
交差点に入り口を持ったお宅が見えるが、古民家風な佇まいを見せていた。
生垣、門、前庭、奥に主屋の屋根という、典型的な田園調布のお屋敷スタイル。
田園調布は多摩川の河岸段丘の縁にあるため、町の外周は低地になっており眺めの良い立地となっている。したがって土地の価値は高く、まちの中でも特に大きな屋敷が見られる。
台地のもっとも南寄りの先端にある聖フランシスコ修道院(手前)と田園調布カトリック教会。
この近くに矢野一郎邸(大正15年)があったはずだが・・・現存していなかった。
参考資料 リンク
大田区


参考文献