荒木町 すり鉢状の特異な地形の上につくられた花柳界

東京都
新宿区




交通
地下鉄丸ノ内線四谷三丁目下車徒歩





荒木町




1997.12.29.
荒木町は江戸時代の松平摂津守の屋敷跡にできた花街である。明治維新後、広大な屋敷が分割され売られる過程で生まれた。芝居小屋がつくられたのをきっかけとして、池を中心としたすり鉢状の高低差のある地形の上に芸妓屋、待合が並び、軍人や学生相手の花柳界として栄えたという。
新宿通りからアプローチする杉大門通りは飲食店がひしめきあっており途中を外苑西通りが分断している。そこから池に降りていく道は折れ曲がった石段で古い建物や洒落た外灯が建っている。かつての池の底地には住宅で埋め尽くされているが、わずかな池が残っていて弁天様が祭られている。花街にはかつて芸妓150人、料亭14軒、待合36軒あったという。花街としての面影をしのぶとともに、特異な地形を楽しみながら街歩きをすることができる。

外苑西通りと津守坂通りに挟まれたエリアがかつての花柳界。新宿通りから入る杉大門通りは飲食店がひしめいている。突き当たりに見えるのはバブル崩壊後しばらく放置されていた「バブルの塔」、今ではテナントも入り稼働している。この先に池があった窪地になる。(左)

坂の上の路地(上、左下)

杉大門通り(左下)と柳新道通りとの間の路地(上)

杉大門通りから窪地へ下る石段(上)

杉大門通りから窪地へ下る石段(上、左)
1997年当時は左の建物が存在していたが、2008年にはマンションに変わっていて、この坂道の空が広がっていた。(左)

窪地へ下る階段(左)と坂の途中にある家の玄関(上)

窪地の底にある料亭(下)

窪地の底の町並み(左、左下、上) 


窪地にあった池は小さくなって弁天様が祭られていた。(上)

窪地の底からバブルの塔を見上げる(左)
荒木町の北西端は外苑西通りで分断されている。外苑西通りの西側に切り離された一角に残る戦前の住宅
参考資料 リンク
新宿区

参考文献
『総覧 日本の建築3 東京』 日本建築学会編 新建築社
『赤線跡を歩く2』 木村聡 自由国民社