守山 「京発ち守山泊り」で栄えた中山道の宿場町

滋賀県
守山市
守山
吉身
今宿



JR東海道本線(琵琶湖線)守山駅下車


国道296号線




守山


今宿


吉身

今宿の町並み

JR守山駅を降り、吉川を渡って守山銀座の交差点を越えると左手に仁王門が建つ。守山寺東門院である。788年、最澄が比叡山延暦寺を創建するに際して、東西南北の四境に門を構えた。その東門にあたるのがこの地で、山を守ることから地名が「守山」となった。時代は下って、江戸時代には中山道の宿場町として整備された。
天保14年のデータによると、守山宿の本宿と今宿・吉身の加宿をあわせた宿場の全長は約1.3km、人口1700人、戸数415軒の大きな宿場であった。東海道では「京発ち石部泊まり」、中山道では「京発ち守山泊り」といわれたように、京を出発して最初に守山に宿泊するのが標準行程だったようだ。
今宿は比較的直線的な町並み。土橋を渡って東門院の仁王門を過ぎると町並みはくねくねしてくる。通りに面してギザギザに建つ町並み、謡曲「望月」に登場する「近江守山の甲屋」跡、中山道守山宿郷土人形館など、歩いて面白い、かといって観光化されていない、自然体の町並みである。
守山宿の中心は「本宿」、京都寄りの今宿、江戸寄りの吉身を「加宿」と称した。今宿には滋賀県唯一の一里塚が残る。
今宿は直線的な町並み。画像の様に1階の軒ラインがシャープにそろった町並みが見られる。
今宿と守山宿との間には吉川が流れ、土橋がかかる。かつての土橋は寛文年間、瀬田の唐橋の古材で架け替えられたといわれている。
東門院前の守山宿の町並み。
地名の由来ともなった東門院。比叡山を守る東の門が築かれたことから「守山」と呼ばれるようになった。
分去れ。
「右中山道美濃道、左錦織寺四十五町このまはみち」の道標が建つ。
本宿の町並み。
敷地の道路境界線が敷地ごとにずれており、側溝がギザギザしている。当然建物もギザギザ建っている。
画像右端の石は宿場当時からあった防火用井戸。
右手の町家は古い看板が残る和蝋燭屋。左手の通りに妻面を向けた家が本陣跡である。
守山宿の造り酒屋。
このあたりの道幅はかなり広い。
蛍橋を渡ると吉身の町並み。
三戸川はかつて源氏蛍の群生地であったため「蛍川」の異称をもつ。
吉身の町並み。
2軒つながった大きな商店。現在は営業していないようだった。
吉身の町並み。
参考資料 リンク
守山市



参考文献