吉川 中川と江戸川にはさまれた川のまち

埼玉県
吉川市
平沼



交通

JR武蔵野線
吉川駅下車

県道67号線
(葛飾吉川松伏線)




平沼

平沼の町並み
 
 吉川は利根川水系の中川と江戸川にはさまれた低地で、大昔は東京湾の海底だった。7〜8世紀の万葉集の東歌に、「鳰鳥の葛飾早稲を饗すともその愛しきを外に立てめやも」とあるところから、葛飾の低地はこのころ以後から農耕生活が始まっていたようだ。吉川の名は、14世紀後半に「吉川郷、彦成郷」と呼ばれていたことによる。近世は天領となり、新田開発がさかんに行われたため吉川周辺は水田地帯となり、二合(郷)半領の「早稲米」の産地として発達した。収穫された米は中川を利用して舟運で江戸に運ばれたため、吉川河岸・平沼河岸は物資の集積地として栄えた。
 中川は古くは利根川であり流路がくねくねとしていることから「七曲り」とも呼ばれている。中川の流れは緩やかで、かつての水運の川らしくゆっくり流れる風景はとても美しい。その中川に沿った自然堤防上に吉川の町並みは形成されている。その内、吉川駅から離れた平沼に江戸近郊らしい出桁造りの町並みが残っている。
 また、川のまち吉川は400年歴史を持つ川魚料理が有名で、昔ながらの料亭がいまでも営業を続けている。名物料理は「なまず」。町おこしのキャラクターにもなってる。

 
ゆっくり流れる中川。
関東では、この中川と茨城県の小貝川が静かな水面でもっとも美しい川だと思う。
街道は中川に並行して北上する。平沼河岸と吉川河岸の近辺が米の集積地として栄えた。
画像は平沼の町家。
平沼には今でも江戸近郊らしく出桁造りの町家が並ぶ町並みが見られる。
典型的な出桁造り。
1階がシャッターになったり2階がアルミサッシュになっていたりするのがほとんどだが、この家は1階が木建具、2階が格子のままになっていた。
料亭糀家。
江戸初期から数えて創業380年の歴史をもつ川魚料理の老舗料亭。
玄関を入ると谷文晁の筆による大なまずの図が出迎えてくれるそうだ。
値段もそこそこリーズナブルとのこと。
料亭糀家の裏側(川側)。いまではここから川は見えないが、かつては川が臨められたのだろうか。
参考資料 リンク
吉川市

吉川商工会

参考文献