唐津 朝鮮半島への港から発達した風光明媚な城下町

佐賀県
唐津市
大石町
東十人町
本町
木綿町
東唐津
城内



交通

JR筑肥線唐津駅下車

国道204号線




大石町


東十人町



本町、木綿町


東唐津


城内

東唐津のホテルから唐津城を臨む。手前は東唐津の町で、右が唐津湾、左が松浦川。

 
唐津は唐津湾に面する港に適した地形で、古来朝鮮半島との交易の要港であった。地名は韓津(からつ)に起こるとされている。豊臣秀吉家臣の寺沢広高が名護屋城の余材で舞鶴城を築き、あわせて城下町を造った。近世中期頃には「惣町十七か町」と称するようになる。明治期は唐津炭田の積出港として発展。現在は様々な業種の工業が立地する臨海工業都市である。唐津城のある舞鶴公園、虹の松原、鏡山を含む唐津湾全域が国定公園に指定されており、唐津焼、半紙の産地でも有名。風光明媚な自然と歴史と文化のある都市である。
唐津湾に流れる松浦川は、築城の際に人工的に流れを変えられ、城を守る外堀として機能した。武家屋敷町は城の西側、町人地は城から見て川を挟んだ南側に形成された。また、松浦川の北側には砂州が形成され、日本三大松原に数えられる「虹ノ松原」と先端に東唐津の町が造られている。
町並みとしては実に多様である。まず歩きたいのが大石町界隈。東西の通りに沿って、歴史的な町人町の町並みが展開する。町田川を西へ渡ると本町界隈。唐津の商業中心で、近代銀行建築や活気ある朝市、昭和の歓楽街などが見られる。一方、唐津城西一帯の武家屋敷町のうち城内地区にはいまでも大きな屋敷が残っている。大石町の南側にある東十人町も古い住宅地で、和洋折衷の近代住宅が建ち並んでいる。松浦川の対面の東唐津は、天守閣と遠浅の唐津湾を眺める立地から、ホテルや旅館が多い町並みを形成している。
大石町の町並み
大石町界隈は、藩政時代から昭和初期にかけて、海産物や農産物の市で賑わった場所。
中二階や二階建ての平入の商家が並ぶ。北部九州でよく見かける塗屋造りのほか、柱や貫を現し壁は漆喰の町家が目立つ(上)。
塗屋造りの窓は個性あるデザインが施されている場合が多い。
大石町の町並み
メインストリートに面する酒屋を脇から見る。
大石町の町並み
1階は格子、2階は軸組みを現す真壁で、窓は出窓の格子。
大石町の町並み
隣の家が取り壊されたらレンガ壁が現れた。隣地側の壁は防火のため煉瓦造であることがわかる。
東十人町の町並み
大石町の南側には寺や古い住宅が並ぶ。近代に建てられた和洋折衷住宅が見られる。
町田川と千鳥橋
橋の西が本町の歓楽街、東が大石町の町人町。
本町の町田川に近いエリアは、飲食店が密集する歓楽街。その中に、かつての妓楼がお化け屋敷のように残っていた(空き家)。
佐賀銀行唐津支店(本町)
明治45年に唐津銀行の創始者である大島小太郎が、唐津出身である辰野金吾を通じて田中実(日本大学建築学科教授)に設計を依頼した。
旧中町の商店街
中町は唐津城下の惣町17ヶ町のひとつ。江戸時代から食料品を商う商家が多かった。戦後は近郊の農漁村に一般の小売業も一共になり露天の朝市を形成。鮮度の高い魚や野菜を求める人々で賑わいを見せている。
東唐津の町並み
両側を海と川に挟まれた東唐津町は中央部が高く、唐津城や海を眺める好立地。旅館やホテルが多い。画像は唐津城が見通せる尾根道に建つ旅館洋々閣。
城内の武家屋敷町
長い築地塀、石垣、笹垣が残る。
虹ノ松原
日本三大松原のひとつ「虹ノ松原」
その雄大な風景は絶景である。
参考資料 リンク
唐津市

参考文献
『日本の町並みU 中国四国九州・沖縄』 西村幸夫監修 平凡社