中本 戦災のない大阪 大正〜昭和初期に開発された町

大阪府
大阪市
東成区
東中本1
中本1
中道1,3




交通
地下鉄中央線緑橋駅下車






中本

戦災のない大阪マップ



2009.08.10
大阪市内は太平洋戦争下の昭和20年(1945年)、全8回に渡って空襲を受けた。そのエリアは、『全国主要都市戦災概況図』(昭和20年)や終戦後にGHQが撮影した空中写真により確認できる。その記録は大変悲しい記憶ではあるが、一方で戦災を受けていない町を知ることができる。大阪は起伏がないが川や堀が多い。それらの水や鉄道、起伏崖線の緑地などによって戦災を免れたエリアがある。これらのエリアを歩くと今でも戦前の町並みが残っている場所が少なくない。特に顕著なのが、ことごとく戦災を受けているJR環状線の内側に対して、外側は見事に免れているところである。

JR環状線の外側、現在の東成区は明治時代までのどかな農村であった。大正元年に鶴橋村と中本村は町制を布き、農地は住宅地に転換され、土地開発会社によって住宅地開発が進行した。大正3年に大軌電車(現近鉄)が開通し、城東線(現JR環状線)と共に交通機関の便に恵まれ、東成区は工・住混在の城東工業地域として、明治42年の当区域内の人口約1万7千人であったものが大正13年には10万人を越えるに至った。そしてこれらの町の多くは、上記の理由から戦災を免れ現在でも戦前の家並みがみられる地域となっている。

東中本はJR環状線森ノ宮駅の東、中央大通りに沿った幅100M×長さ800Mのエリアで、整然と区画された敷地に大正期から昭和戦前にかけて建てられたと思われる住宅が並んでいる。おそらく一時期に開発し分譲されたのであろう、同じような形をしている。基本的には大阪でよく見かける軒段々の入母屋屋根の伝統様式で、中に洋風を取り入れたものもみられる。中に古い銭湯が残っていたが、見事なタイルワークの建物であった。


東成区は計画された戦前の住宅地が多く、交差点に面する住宅は角切られているケースを多く見かける。
伝統様式がベースだが、中には洋風のものもある。
東中本1の古い銭湯
タイルの張り分けによって特徴ある意匠をしている。
東中本1の町並み

東中本1の町並み
平野川
中道の元町銀座街
中道の元町銀座街
参考資料 リンク
大阪市

参考文献