釜ヶ崎 明治期の移転に端を発する日本一のドヤ街 

大阪府
大阪市
西成区
萩之茶屋1,2,3
太子1




交通
南海本線ノ茶屋駅下車徒歩
阪堺電気今池駅下車徒歩
地下鉄動物園前駅下車徒歩
JR大阪環状線新今宮駅下車





釜ヶ崎



2009.03.20
釜ヶ崎は西成区萩之茶屋付近の旧地名である。行政や報道機関は統一して「あいりん地区」と呼んでいる日本一の日雇い労働者の街=ドヤ街(簡易宿泊所の集積した街)である。ドヤ街の元は現在の日本橋電気街の界隈に多数あり、明治36年の第五回内国勧業博覧会の際に撤去され一部が釜ヶ崎に移動した、それが釜ヶ崎ドヤ街発祥の理由と考えられている。釜ヶ崎は戦前は新世界や飛田新地とともに歓楽街の一角を形成していた。戦時中の大阪大空襲で、周辺の天下茶屋や飛田新地は戦災を免れたものの釜ヶ崎は被災し、スラム街は壊滅した。戦後、大阪市長が社会党系から三期連続して排出され、浮浪者・貧困対策を重視した経緯から西日本の浮浪者・貧困者が大阪市内に集まり各地にドヤ街を形成されたが、やがて釜ヶ崎に集約された現在にいたっている。釜ヶ崎=あいりん地区の範囲はJR環状線と南海本線と旧南海天王寺線跡を結んだ三角地帯である。
新今宮駅前の駅前には、大通りをはさんで大阪社会医療センター付属病院と合築された「あいりん労働公共職業安定所」がある。1階は天井の高い大ピロティになっていてたくさんの人が屯っている、また、街の南に東萩町公園=通称「三角公園」があり、路上生活者で埋め尽くされている。街の中での価格は周辺の1/2〜1/3であり、ドヤが一泊¥1500、弁当が\200など驚かされる。町並みというよりは特定の人並みがすごく容易に撮影はできない。南海萩ノ茶屋駅前にはかつての遊里時代の戦前の建物が残っている。
※どの画像にも人があまり写っていませんが実際はとてもたくさんの労働者や浮浪者が歩いています。その様子はお伝えできませんので実際に訪れて感じてください。ウィキベディア参照
あいりん労働公共職業安定所
1階が大ピロティになっていてそこにたくさんの人が屯っており壮観である。が、撮影はできなかった。(上)

南海萩ノ茶屋駅前の町並み。かつての遊里時代の名残が見られる。(左)
南海萩ノ茶屋駅前の近代建築「銀座センター」。
南海萩ノ茶屋駅前の近代建築。
南海萩ノ茶屋駅前の近代建築。
銀座センターから三角公園へ至る通り。この道を進みたかったがとても無理だった。
萩之茶屋本通商店街(上)

阪堺電気軌道の下をくぐる道(左上)

飛田新地との間の大通り(左下)
新今宮駅近くの近代建築
新今宮駅近くの近代建築
参考資料 リンク
大阪市
西成区

参考文献