蒲生 戦災のない大阪 堤防上に形成された街道町

大阪府
大阪市
城東区
蒲生1,2,3,4
今福東1
今西南1,2




交通
JR環状線京橋駅下車徒歩






蒲生




2009.03.21
江戸時代から明治時代にかけて、寝屋川は大阪市街と北河内、中河内とをつなぐ重要な交通の要路であり、今福・蒲生はその中継地として栄えた。周辺は寝屋川氾濫原の低湿地で、悪水排水のため開削された鯰江川水路の右岸の堤防の上に旧大和街道が通い、その両側に町が形成された。
この堤防上の道は野崎街道とも呼ばれ、江戸時代から明治期にかけて野崎観音へ参拝する人々でにぎわった道でもある。しかし、明治後期に相次いで開通した京阪電車や国鉄片町線は今福を通らなかったため、大正3年に天満橋〜片町〜鴫野橋〜朝日橋〜今福を往復する巡航船が就航していた。野崎観音への参拝客を相手にした屋形船もあったという。
蒲生・今福周辺は大阪でも貴重な戦災を免れた地域のひとつである。蒲生堤上を通うゆるやかに蛇行した旧街道には古い町並みが残っており、かつての面影をしのぶことができる。京橋駅のすぐ近くにこのような歴史的な町並みがいまだに存在しているのは不思議である。
寝屋川(旧大和川)

かつては寝屋川を巡航船が行き来しており、新喜多橋付近に船着場があった(上)

現在の新喜多橋付近(左)
今福南1丁目の大きな住宅
今福南1丁目の長屋の町並み
今福西1丁目の町並み
蒲生4丁目の銭湯「清水湯」(上)

蒲生4丁目の町並み(左)
蒲生4丁目の町並み
正福寺の庫裏か。茅葺の建物があった。

古い町は蒲生堤上に形成されているため、裏側から見ると三階建てのようになっている。(上、左上)

JR環状線京橋駅下車直下の街道町(左)
 
参考資料 リンク
大阪市
城東区

参考文献