コザ
吉原
最大の米軍基地門前に形成された二つの遊里

沖縄県
沖縄市
美里1
照屋1





交通





吉原



照屋1




2010.01.11
コザという地名は、かつての越中村胡屋(こや)をアメリカ軍が誤ってよび、胡差の当て字を使用したことに始まる。第二次世界大戦前は人口八千人の一寒村だったが、戦後アメリカ軍基地が市域の大部分を占め、人口が集中した。基地依存型の消費都市で、第三次産業が80%を占める。巨大な嘉手納基地に場所的にも経済的にも寄り添って急速に形成された街は広く、国道330号線と基地ゲートから延びる空港通りとの交差点である胡屋十字路、国道329号線との交差点であるコザ十字路という二ヶ所を街の座標軸原点として捉えられる。ゴザの遊里はこの二つの交差点の周辺やその他に数々形成された。

コザ十字路の南西側の照屋1丁目に「銀天街」という寂れた短いアーケード街がある。この商店街はアーケードが無くなっても続いていて、米軍の白人と黒人との対立を背景に「照屋黒人街」と呼ばれる特飲街が成立した。それまで照屋で営業していた白人相手の業者は街を離れ、コザ交差点のちょうど対称の位置にあたる美里1丁目の丘へ移動し新たな特飲街を建設した。この白人相手の新特飲街は、やがて対象を変え現在のような沖縄人相手の現役風俗街へと発展した。
照屋1丁目の旧黒人街の痕跡は、僅かな旧飲食店と廃業しているホテルの建物が残っている程度であった。一方、吉原は島内最大の風俗街。普通の住宅と同じような建物が密集していて、それらすべてが風俗店という珍しい形態の町並みである。また、地形が激しく道も不定型で、結果非常に面白い集落が完成したといえる。

本当の地名(美里)ではなく東京の吉原に肖った通称名が標示されている。(上)

吉原の町並み。内地の同様の町とは違い、全てスナック・バー等の形態をとる。(左、下)
吉原の町並み(美里1)
朝10:00から営業開始され、呼び込みが店頭に座る。町歩き目的の人は午前10:00前に訪れるべし。
 
吉原の町並み(美里1)
吉原の町並み(美里1)
照屋1丁目の「銀天街」アーケード
画像はコザ交差点方面とは反対側からみている。この商店街は画像とは逆方向に延びている。
「銀天街」の町並み
古いRC造の店舗が建ち並ぶ姿は意外と内地には珍しく、沖縄ならでは。
照屋1丁目の旧ホテル街と思われるの町並み(左、下)

商店街の通りの終点近くで道が曲がり丘に上っていて、飲食店が数軒残っていた。(左)
参考資料 リンク
沖縄市

参考文献