矢掛 本陣と脇本陣がセットで残る旧山陽道の宿場町

岡山県
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交通

井原鉄道矢掛駅下車






矢掛



2006.03.18
矢掛の町は旧山陽道の宿場町で小田川の自然堤防上に形成されている。小田川の流れに沿った旧街道に沿って、ほぼ一直線の約800mの町並みで、近世になって計画的に整備されたものである。この町並みの第一の特徴は近世宿駅制度で宿場の中で重要な役割を果たした本陣と脇本陣がセットで残っていて、しかも両方とも国の重要文化財指定されていることである。両者は宿場町の両端近くあって大きく構えた立派な建物で、宿場町を歩いて楽しむ上でも絶好の位置にあるといえる。特徴の2点目は敷地の奥行きが深く川側の敷地はかつて川に面しており、水運の荷卸を行う雁木があったということ。そして3点目が入母屋妻入りが多いということで、正面から見て両端の屋根が跳ね上がっているのが特徴である。
さらに、本陣を過ぎた町の西部で北方向に旧松山街道を分岐しており、旧松山街道に沿っても町並みが続いている。矢掛は宿場町の全体像が見られる全国的にも貴重な町並みの一つと言ってよい。
敷地の奥行きが深く、間口は比較的狭いものがあるため町家は妻入が多い。(左)


脇本陣高草家住宅(国重要文化財)
天保14年に屋根を葺き替えた記録が残っている。本陣より小さいが負けずに立派な建物である。(左下)

建物の間の道。裏側の町へ通じる。(上)


本瓦、2階漆喰塗籠、虫籠窓、入母屋造り。妻入りと平入りが混在する町並み。(左)

洋風建築や看板建築も見られる。(左、左上)

町並みの背後のお寺に通じる参道。(上)

妻入りが多い町並み。屋根の両端が跳ね上がるのが特徴。
本陣石井家住宅(国重要文化財)
中世より庄屋をつとめ、近世には本陣を兼ねた。間口20間、敷地面積千坪で代々酒造業を営んでいた。建物の年代は天保のものもあるようだが、幕末から明治21年の間に現在の建物が整備されたものと思われている。
石井家住宅の中庭。背後は小田川に繋がっており荷揚げをしていた。現在は土手をバイパスが走っている。
本陣より西側の西町。右手に見える隅切りのある看板建築お手前から旧松山街道が分岐している。
旧松山(高梁)街道の町並み。(上、左)
矢掛町では旧市街の北側、町役場の周辺に新しい町づくりをしている。
矢掛文化センターは当サイト管理人が企画に携わった建物。
参考資料 リンク
矢掛町

参考文献
『図説 日本の町並み8 山陽編』 太田博太郎他 第一法規
『日本の美術289 民家と町並 中国・四国』 鈴木 充 至文堂
『歴史遺産 日本の町並み108選を歩く』 吉田桂二 講談社
『日本の町並みU 中国・四国・九州・沖縄』 西村幸夫監修 平凡社