下谷 吹屋銅山で栄えた旧往還沿いの小さな町並み

岡山県
高梁市
備中町
下谷




交通






下谷



2006.03.19
岡山県の中央部に、南北約40kmに渡る吉備高原がある。標高は東部で約300m、西部で約500mの平坦な台地で、瀬戸内海に河口を持つ吉井川、旭川、高梁川の三河川がV字谷を刻んでいる。高原上は古代から人の居住があり、水の確保できる場所に集落が形成され、農耕が行われてきた。近世末期までは生活の中心は高原上であり、各地で市場が開設されていた。吹屋往来は成羽から新見を結ぶ高原上の主要道であった。哲多町、比婆郡の素鉄や吹屋の銅は成羽に運ばれ、成羽からは生活必需品が運ばれた。したがって、吹屋の集落は吹屋往還沿いの宿場町・市場町から発生したと言われている。吹屋地域の銅の生産は近世以前から行われていたとされ、近世は天領として銅が生産された。明治になると三菱に払い下げられ、一時は全国一位の生産量を誇ったが、次第に枯渇し昭和6年に閉山となった。一方、吹屋の町は、銅と共に産出された硫化鉄鉱から生産されるベンガラの製造でも栄えた。しかし、戦後は化学原料に取って代わり、吹屋のベンガラ産業は廃れた。
成羽から吹屋往還を北西へ進み、本郷から吉備高原に刻まれた島木川の渓谷を登ってくると、僅かに開けた前方に集落が見える。ここが下谷集落で、渓流に沿った小さな赤い町家風の建物が上品に並んでいる。下谷は吹屋下町から500mほどの位置にある集落で、吹屋同様に銅山で繁栄した町である。現在は単なる農家であるが、かつての豪商「西野家」がある。赤瓦の平入の町並みは吹屋の妻入りとはやや趣を違えており、観光客も少なくひっそりとしている。県道は下谷から白石集落を経由して吹屋へ至るが、直接上る山道があって町並みはそっちに延びていたらしい。石階段の上に廃屋が数棟残っていた。
成羽から吹屋へ向かう途中、宇治町宇治に庄屋を勤めた明治期の「仲田家住宅」が残っており、公開されている。
宇治町の方から島木川の谷を上ってくると僅かに視界が開けて下谷の町並みに出くわす。

銅山関連の産業で財を成した豪商「西野家住宅」。
平入の町家が上品に向かい合う町並み。どうしても高原という場所に似合わない。
赤茶の格子と橙色の漆喰壁。
西野家のところで旧街道は90度折れる。
90度折れて吹家方向を見る。(左)


県道は白石集落を経てやや迂回するように吹家へ向かうが、旧道は直接吹家下町へ繋がっていたようだ。(下)

旧道の石段を登ると廃屋が数棟あった。(左上、上)


県道吹屋方向から見た下谷の町並み。(左)
参考資料 リンク
高梁市

参考文献
『図説 日本の町並み8 山陽編』 太田博太郎他 第一法規
『歴史遺産 日本の町並み108選を歩く』 吉田桂二 講談社