岡山 復興都市計画による円形交差点と商店街

岡山県
岡山市
表町
(柳川交差点)
(大雲寺交差点)
(清輝橋交差点)





交通
JR山陽本線岡山駅






柳川


大雲寺


清輝橋


表町





2018.02.18
岡山の中心市街地は、第二次世界大戦時にことごとく戦災を受けている。戦後の戦災復興都市計画は、全国の戦災都市で実施されたが、岡山では他の都市で取り入れられることのなかった円形交差点が計画された。円形交差点とは、西欧の都市で見られるロータリーで、信号を使わないで交通処理が行える交差点形式である。しかし、日本では定着することが無かったため、現在の岡山では普通の十字交差点として交通処理が行われている。結果、円弧を描く町並みと不思議な空間が交差点に生まれている。
また、旧山陽道の通る表町は、岡山きっての繁華街である。宇喜多氏時代に成立した町で、上之町、中之町、下之町、栄町は、内堀と中堀に囲まれた郭内商業地域の町である。西大寺町は城の南方、中堀と外堀の間の郭内商業地域の町で、地名は西大寺の富豪を招き家作させたのでこの地名になったといわれている。また、各種商人、問屋などの有力商人の集住地でもあった。栄町は旧山陽道の宿駅で、岡山県下の主要な往来はここを起点としていた。下之町には楠本イネ(通称オランダおいね)が産科を学んだ蘭学者・石井宗謙の家があった。上之町は、城下町建設のため、備前の福岡より商人を呼び寄せた。上記のような由来による表町の商業地は、南北東西に延びるアーケードを形成しており、戦災復興の象徴となっている。シンフォニーホールに近い北部では、防火建築帯のような建物が通りの両側に並んでいる。いずれも、復興の町・岡山の特徴として指摘できよう。

柳川交差点
南東角の町並み(左上:1990年代)
柳川交差点
南東角の町並み(2018年)

柳川交差点
北西角の町並み(左上:1990年代)
北西角の町並み(上:2018年)

北東角の町並み(左下:1990年代)
柳川交差点
北東角の町並み(左下:1990年代)
大雲寺交差点
南東角の町並み(上・左)

大雲寺交差点
南西角の町並み(左)
大雲寺交差点
南西角の町並み(左)
清輝橋交差点
南西角の町並み(左)

十日市交差点(下、左下)

西大寺町商店街(上、左上、左)

千日センター街(上、左上、左)
かつて映画館が並んでいた通り
表町の町並み
表町の町並み
防火建築帯のような建物が両側に並ぶ
岡山城と大正12年地区の禁酒会館
戦災を末がれた建物
オランダ通りの町並み
表町商店街の東側を平行する飲食店街
オランダ通りの町並み
表町商店街の東側を平行する飲食店街
オランダ通りの町並み
ほろよいマンション
参考資料 リンク
岡山市

参考文献