庭瀬 海鼠壁と本瓦の商家の町並みが見られる旧陣屋町

岡山県
岡山市
庭瀬
撫川




交通

JR山陽本線庭瀬駅下車徒歩






庭瀬



2005.11.14
室町時代の末頃、備中松山の三村元親は備前の固めとして庭瀬に城を築いた。一帯は泥炭地で非常に難工事だったという。その後1602年に、宇喜多の重臣戸川肥後守達安が入り、城下町を整えた。当時、庭瀬は足守川の河口の港町でもあり、備中南部の物資の集散地であった。元禄12年(1699年)以降は板倉氏の陣屋町となり明治維新を迎えた。明治期以降は、イグサ栽培の中心地を控え、イグサ加工品、織機を産出して繁栄した。
山陽本線庭瀬駅を降りて北へ進むと旧国道2号線の一本南側の東西の通りに古い町並みが見られる。2階の土壁の要所に雨がかりを保護する海鼠壁が施された切妻妻入の商家が残っている。2階は立ちの高いの低いの(つし2階)と様々だが、いろんな形状の虫籠窓がついていて、屋根は本瓦が多い。こういった特徴は岡山らしいところで、町家としての格式の高さを感じる。それだけ交通の要衝であり、近代産業で潤ったことが原因ではなかろうか。町並みの南側にはクリーク地形独特の水路が巡っており、それらを堀として利用していた城址が現在は神社となっている。
庭瀬駅から町並みに向かう途中。クリーク地形独特の水路が巡っていた。
庭瀬本町の町並み。
味噌醸造工場「川野屋商店」のあるあたりが庭瀬の古い町並みの核心部分である。
川野屋商店の向かい側にあるレトロな薬屋
薬屋から味噌屋を見る
味噌醸造工場のところから北へ旧道が分かれていた。
北へ向かう旧道沿いの町並み
岡山県ならではの海鼠壁の土蔵。中間から下は木で多い上は火の延焼を考慮し漆喰を塗る。漆喰は雨で落ちるので、雨がかりや漏水の原因となる、コーナー部や板壁の上部、庇の付け根、開口部の下端という部位に海鼠壁を施す。理に適っているとともに意匠的にも効いている。
本町の町家(左)

旧街道は山陽道ではなく金毘羅道である。山陽道は北の吉備津神社近くを走っている。(下)

城の堀に続く法万寺川を渡ると撫川地区。町家は軒を連ねるような建ち方ではなくなるが海鼠壁+本瓦の建物が見られる。(左、左上)
ここには庭瀬城と撫川城の二つの城跡がある。(写真は庭施城址)
城は泥沼地に立つ平城ならぬ「沼城」。
庭施城の堀代わりになっていた泥沼地の名残の水路が住宅地を巡る。
参考資料 リンク
岡山市

参考文献