西大寺
河本町
吉井川の旧堤防上に発達した江戸明治の町並み

岡山県
岡山市
西大寺東2,3



交通

JR赤穂線
西大寺駅





西大寺東





2004.10.25
 西大寺は吉井川の河口近くに位置し、近世は門前町、市場町、港町として繁栄した。西大寺観音院は奈良西大寺の末寺で、全国的には「裸祭り」で知られている。
 西大寺の町は、吉井川縁にある館音院に向う街道を原形にして形成されたと思われる。吉井川の堤防はしっかりと造られているが、現在の堤防の一皮内側に蛇行した古い堤防があり、その上に通う街道に沿って線状の町が形成された。堤防上の町は観音院を挟んで吉井川の上流方向と下流方向の両方につながっているが、上流方向の旧河本町(西大寺東3丁目)には、近世後期から明治中期にかけての繁栄ぶりを物語る立派な商家が軒を連ねて残っている。河港を背景に発展した町は、明治中期に山陽本線が西大寺を離れて開通したため衰退していった。こうして古い町並みが現在まで残っている訳である。
 家々は土手の斜面に建っているため、表側は1、2階建て、裏側から見ると2,3階建てという構造が特徴。平入りで城郭のようにそりのある本瓦葺きの屋根に漆喰を塗りこめた壁。雨が当たる腰壁部分や破風の下半分には漆喰が剥げないようにナマコ壁が施されている。2階窓は厚い漆喰で縁取った大きな窓や出格子窓がついている。これらは岡山県で共通の町家の特徴で洗練された印象を受ける。瀬戸内航路を通じて畿内と密接な関係にあったからであろうか。

左から吉井川、新堤防、旧堤防上の町並みという構成(左)。

表は1階建てでも2階建て(上)。

土手の線形に合わせて曲がる町並み(左)。
厚い漆喰で縁取られた窓(上)。


手前は旧堤防、向こうは新堤防(上)。

江戸末期から明治中期にかけての商家がつながって残っている(左上、左)。
商家の隣接敷地が空き地になっているため、屋敷の構成がわかる。裏側の付属屋や庭が低い位置に建っているため、表側の母屋だけがやけに高い。
平入り、本瓦葺き、漆喰塗り込め、ナマコ壁の腰壁、などが町並みを作っている家々の特徴。(左、下)
旧河本町の町並み。
土手上の旧河本町と西大寺観音院前の五福通りとは大きな製紙工場で町並みが途切れる。途切れたあとの小さな川沿いに建つ建物。旅館か。
参考資料 リンク
岡山市

参考文献