犬飼 大野川流域の物資集積地・河港として発展した町

大分県
犬飼町
犬飼



交通

JR豊肥本線犬飼駅下車

国道10号線、57号線




犬飼




2003.12.30
阿蘇の外輪山より流れいづる大野川は深い谷を刻み、別府湾に注ぐ。大野川に支流柴北川が合流する河岸段丘上に犬飼の町がある。江戸時代、参勤交代の往路が犬飼・三佐間を御座船で航行するようになり、大野川上流域の年貢米の集積地であった。犬飼は、近世・近代を通じて陸運・水運の結節点である河港として発展した。
現在の国道10号線は大野川の東側を通っているが、市街地と豊肥本線は川の西側にある。国道から眺めると川幅の広い大野川の河岸に家並みが続く。しかし、河港の面影は感じられない。旧街道に沿った町並みは、北部九州の例に漏れず妻入と平入の2階建て町家が見られるが、連なっては残っていない。2階壁から軒裏にかけて漆喰で塗り固めており、白・黒両方見られ、柱や梁・桁をあらわすものもある。
犬飼の市街地からやや上流に、「犬飼石仏」という国史跡がある。
凝灰岩の大岩壁に、不動明王と二童子の三体の仏像が彫りこまれ、木造の礼堂が岩にさしこむように建てられている。像高3.76mの不動明王坐像は火炎を持たず、両眼双開の形像は、古い様式を伝承している。室町時代以降のものと推定される。ここから20KM弱東へ走れば臼杵の磨崖仏がある。
町の南端近くにある有田金物店。2階の黒漆喰壁に右から店名が書かれている。
この町家、立派な入母屋瓦屋根だったと思われるが、向かって右側の道路が拡幅されたため建物が削られている。ちょっと痛々しい。
北部九州の町並みは妻入・平入が混在するが、入母屋にして通り側の2階軒ラインを平入町家と並べるつくりが多い。
町の中ほどにある合名酒輔。2階の壁は梁や桁の材をあらわし、壁から軒裏にかけて白漆喰で塗り固めている。
合名酒輔
屋根や軒裏、破風の意匠が見せ所。
大野川
対岸が国道10号線。深い谷を刻んで流れてきた大野川は、ここ犬飼から川幅を広げ、やがて平野になる。
参考資料 リンク
犬飼町

参考文献