豊後高田 昭和レトロを色濃く残す国東半島一の繁華街

大分県
豊後高田市
新町
高田
中央通
浜町
中町




交通
JR日豊本線宇佐駅下車バス利用




豊後高田




2009.12.23
豊後高田は、安土桃山時代から江戸時代前期に築かれた城下町に端を発している。寛文9年(1668年)島原藩の飛地となり、その年貢米を積み出す港町としても栄えた。現在の街の骨格は城下町や港町時代に形成されたものである。明治時代を迎えると通りには商店街が立地し、昭和30年ころまでは国東半島一の繁華街であった。しかし、全国の中心市街地と同様に高度経済成長期を境に徐々に衰退していった。豊後高田には昭和30年代までに栄えた歴史遺産が多く残っている。これらを生かし「昭和の町」として商店街を活性化しようと平成13年に町づくりに着手した。駅前にあった倉庫を改装して観光テーマパークにしたり、旧銀行を資料館などに生かしたり、街の商店の看板をかけ替えたり、整備が進められているが、自然体のレトロを残した建物とあえて整備した建物の両方が調和しており、テーマパーク的なまち観光が人気を集めているようだ。整備側があまり強調されないように進めていけば、今後全国の同様の商店街でも活かせそうな試みである。
バスターミナルはかつての鉄道駅で商店街は旧駅前から始まる。城下町港町時代の街路線形がそのまま昭和の商店街になったため、駅前から銀行建築がある中心まで折れながら商店街は続く。建物は近代洋風もあるが、白漆喰壁の北部九州らしい町家が並ぶ。看板は昭和レトロの必須アイテムだから外すわけにはいかないが、仮に外せばそこそこの古い町並みといえるだろう。また商店街とは違ったルートで街を結んでいる宮町界隈に歓楽街の町並みも残っていて、時間をかけて歩いて楽しめる街だ。
大正5年に開通した宇佐参宮鉄道豊後高田駅(現在のバスターミナル)
昭和40年に廃止されたが駅前の雰囲気は残っている。
駅前通りの町並み
入口周りに色とりどりのモザイクタイル貼られていた
新町通りの町並み
新町通りの旧共同野村銀行
新町通りの町並み
新町通りと中央通りの交差点(上)

中央通りの旧大分合同銀行(左)
宮町通りと中央通りとの交差点(左)

宮町通りの町並み(下)
中央通りの端、桂川橋の袂に建つ旧共立高田銀行
新町通りから宮町通りに抜ける新町二丁目界隈には夜の飲食店が集まっている(左、下)
新街二丁目のスナックビル
若宮殿の周りの宮町は夜の飲食店街
中央に三角形のポケットパークがある
参考資料 リンク
豊後高田市

参考文献