宿根木 中世より廻船業で栄えた船大工の町

新潟県
佐渡市
(旧小木町)
宿根木





交通






宿根木





2010.10.11
佐渡島の南端、小木半島内岬の沈降海岸に面した狭い谷あいに展開する宿根木集落は、近世より廻船業で栄えた船大工の村。江戸時代は佐渡の富の三分の一が宿根木に集中していたといわれるほど繁栄していたことは、異常なまでの密集度から容易に想像できる。
集落は、弥光寺川という小さな川が海にそそぐ小さな入り江に密集している居村部のほか、東の山の斜面に散居する高之山、小木へ通じる街道沿いの街村形式の新田からなる。居村部は、三方を海蝕崖に囲まれ一方だけ海に開いている。川の東側のエリアは湾に沿った線形の通りとそれに直交して海に向かう通りによって構成されていて発展過程が見てとれる。湾に沿った線形の通りはかつての海岸線、そこに面して大きな家屋や旧郵便局の建物があり、先に寺社や公会堂があって集落内の中心軸であった。ここから海側は浜辺だったところが徐々に宅地化され現在に至っている。
建物は主屋と納屋を連結させて各戸がまとまっており、外部に対して閉鎖的である。したがって、集落内の路地に接する各戸の外壁には開口部が少なく、板壁に囲まれた空間を歩くことになる。各住宅は基本的に総二階建てで、杉板ないし杉皮、蔵も全て板壁で覆われている。屋根は現在では瓦葺であるが、かつては石置き杉皮葺きであった。
宿根木のような入り江に密集した集落は、小木半島の他にも見られる。しかし、漁村ではなく廻船業の集落であるところで他と異なった特徴的な形態をしており、全国的にも貴重なものの一つである。

佐渡島・・・
わが国の離島中最大、北陸道七国の一つ。北側に大佐渡山地、南側に小佐渡丘陵が並行し、その間に地溝帯の国中平野、沿岸に河岸段丘が発達した島である。中世の守護本間氏は河原田獅子城、のちの真野壇風城を築城、1573年(天正1年)〜98年(慶長3年)まで上杉氏が支配、徳川氏は直轄領として佐渡奉行を相川に置き、相川金山経営に力を注いだ。古くから罪人配流の島でもあった。
宿根木の全景。見事に集落が入り江を埋め尽くしている様子がわかる(上)

昭和30年頃の宿根木(左)
上の写真とほぼ同じアングルでの現在(2010年)

明治42年に建てられた郵便局(上)

かつて海岸線だったという村の創成となる通り(左)

江戸中期から廻船業を営み、幕末から明治期にかけて財をなした船主の家(清九郎の家)(上)

海へ通じる通り(左)

三角形平面をした「船形の家」(下)

海岸に面した(現剤は駐車場)竹垣と村の入り口

開口の少ない板壁に囲まれた通り空間(上)
 
 

伊三郎の家の軒下の装飾(上)

弥光寺(左)この前に白山神社や公会堂、裏手に墓地がコンパクトに納まっている。

杉板貼りの外壁 
参考資料 リンク
佐渡市

参考文献
『図説 日本の町並み4 北陸』 第一法規
『日本の町並みV 関東・甲信越・東北・北海道』 西村幸夫監修 平凡社